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東方通信社発行 学苑報
「小藩分立」「一村一品」の精神が 大分のまちおこしと中小企業の活力だ!! |
2011年 12月 09日(金曜日) 00:00 | |||
宇佐神宮では拝礼の作法も独特。通常の「二拝、二拍手、一礼」ではなく、出雲大社と同じ「二拝礼、四拍手、一礼」という作法なのだ 九州地方の東部に位置する大分県。温泉の源泉数、湧出量ともに日本一で、シイタケやカボスの産地としても有名だ。また、最近では関アジ・関サバの産地として食通を唸らせている。だが、大分の本当の魅力はそれだけではない。山里や温泉地にニッチなさん業も生まれつつあるのだ。そして一帯は全国八幡様の総本宮が鎮座する超パワースポット、はたしてどんなミラクルが。さっそく、大分の魅力を紹介していきたい。 醸造場と試飲場の風景。安心院の地ワインを味わいたい
◆大分の歴史
『古事記』によると、九州は6世紀前後には筑紫国・豊国・肥国・熊襲国に4分割されていたという。やがて豊国は、豊前と豊後に分かれる。江戸時代に一番大きい石高を誇ったのは10万石の中津藩で、そのほかに杵築藩、日出藩、府内藩、臼杵藩、佐伯藩、岡藩、森藩の8藩、加えて熊本・島原・延岡藩の飛び地が入り乱れる「小藩分立」の様相を呈していた。また、大友宗麟の治世に西洋文化を取り入れた府内藩は国際都市として賑わうように。そして現在、大分県は豊前2郡(下毛、宇佐)と豊後8郡(国東、速見、大分、海部、大野、直入、玖珠、日田)で成り立っている。
〈八幡様の総本宮として知られる宇佐神宮〉
大分の歴史を語る上でハズせないのが宇佐神宮だ。全国4万社余りあるといわれる八幡様の総本宮であり、八幡大神(応神天皇)、比売大神、神功皇后を祭神として、725年に創建された。
神道だけでなく仏教文化も大切にする「神仏習合」の祖としても知られている。そのため、かつては敷地内には弥勒寺と呼ばれる寺院が存在していたという。弥勒寺は明治維新の廃仏毀釈(ルビ・きしゃく)で破壊されてしまったが、堂内にあった仏像などは周辺の寺院などで引き取られたそうだ。また、宇佐神宮は御輿文化の祖ともいわれている。かつて奈良東大寺の大仏の建立にあたって、御輿を造って八幡様を乗せて出向いたのが、その由来となっているそうだ。
なお、取材当日は江戸末期に建設された社の檜皮(ルビ・ひわだ)ぶき屋根の葺き替え作業の真っ只中だったので、その様子も少し拝見させてもらった。檜皮とは読んで字の如く檜の皮のことで、これを1.2㌢の間隔を空けながら何層も重ねていく。もちろん、檜皮を固定する際に使用するのは竹釘のみで、昔ながらの宮大工の工法を守っている。
〈六郷満山文化を代表する富貴寺〉
宇佐神宮によって花開いたとされる「六郷満山文化」。六郷とは国東半島に栄えた武蔵、来縄、国東、田染、安岐、伊美の総称であり、国東半島の寺院を総称して六郷満山と呼ぶそうだ。
富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた六郷満山の代表格。なかでも国宝・大堂は西国唯一の阿弥陀堂であり、九州最古の木造建築物として知られる。また、堂内に納められている本尊の阿弥陀如来像も必見で、一本の榧(ルビ・かや)の木から六郷満山寺院を開基したとされる仁聞菩薩が彫ったという伝承が残されている。
そして、この大堂を訪ねることがあれば、その内壁をよく見てほしい。そこに極楽浄土の世界を描いた壁画が施されていることがわかるはずだ。現在は風化によって白っぽい跡しか見えないが、調査によってこの壁画は極彩色で描かれていたことが判明している。
◆大分の食
さて、おつぎは大分の食を訪ねてみたい。大分県は標高0㍍から1000㍍近くまで耕地が分布し、耕地面積の約7割が中山間地域。起伏の多い地形でコメを主に、野菜、果樹、花き、肉用牛などが生産されている。また、県土の72㌫を占める森林では、木材の生産をはじめ、しいたけなどの特用林産物が生産されている。
一方、海の幸はどうか。大分県の海岸線の総延長は759㌔㍍(全国13位)で、日本三大干潟のひとつである豊前海やリアス式海岸の豊後水道など、実に変化に富んだ地形を有している。そして、その地形ごとに特徴ある漁業や養殖業が営まれている。たとえば、豊前海は干潟と平坦な浅海からなるため、採貝漁業、ノリ養殖業、幼稚魚の育成場とされている。また、豊後灘・別府湾は外洋水と内海水が混合しており、小型底引き網や刺網による漁獲、車エビ、カキなどの養殖が盛ん。豊後水道北部・南部はリアス式海岸と天然の磯に恵まれ、沖合・遠洋ではマグロは縄漁業、沿岸部では中高級魚の一本釣り、魚類や貝類養殖業が営まれている。
〈300年の歴史を持つ老舗の鯛茶漬〉
さっそく、大分ならではの食文化を求めて、300年以上の歴史を誇る杵築市の「若栄屋」を訪問。広々した店内には美しい調度品が配置され落ち着いた高級感が漂う。通された宴会場には能舞台まで設置されていた。
ここでは他県では味わえない独自の鯛茶漬が食べられるという。その名も「鯛茶漬うれしの」、江戸時代から若栄屋に伝わる家伝料理だ。一般的な鯛茶漬とは異なり、一子相伝の胡麻ダレに漬けた鯛をご飯にのせ、杵築茶をかけて食べるという。ゴマと杵築茶、タレの風味が絶妙なハーモニーを生み出す絶品だ。
ところで、この鯛茶漬うれしのの名は「杵築藩の殿様に大谷屋(現在の若栄屋)の鯛茶漬を出したところ、『今日も鯛茶か、うれしいのう』といって召し上がったことに由来し名付けられたそうです」と話すのは若栄屋16代当主の後藤源太郎さん。殿様も満足した秘伝の味はまさに杵築が誇る地域資源といえそうだ。
〈臼杵のフグが大分の新名物になるか〉
フグといえば下関というイメージが強いが、実は臼杵のフグが下関でセリにかけられているとか。しかも、値付けではいつもダントツというからその味もダントツ。というわけで、フグ料理の料亭御宿「春光園」を訪ねてみることに。フグ刺しやフグ鍋、フグの唐揚げ、フグの雑炊などを味わえる「ふぐコース」(1万2000円)はまさに絶品。とくにフグ刺しは一般的なフグ刺しよりも厚めに切られており、フグの食感をより贅沢に楽しむことができる。そのため「この刺身を味わうためだけに、わざわざ県外から訪れるお客さんも多いんですよ」と女将の児玉多壽子さんは話す。
また、フグ料理店や卸業者で組織されている「ふぐの郷臼杵」は毎年10月に「日豊海岸臼杵ふぐ祭り」を開催。昼食にフグ料理を堪能し、臼杵の美しい石壁の街並みを散策したり、臼杵産の真珠のアクセサリーづくりを行うことができるという。参加者全員にプレゼントがあるほか、抽選でフグ料理補助券が当たるそうだ。国宝・臼杵石仏などで知られる臼杵市、歴史探訪と合わせてフグ料理を満喫するのもオツである。
〈「いいちこ」の蔵元が製造する「安心院ワイン」〉
いまや焼酎のトップブランド「いいちこ」、その蔵元である三和酒類(宇佐市)が宇佐市安心院町に安心院葡萄酒工房を設立し、「安心院ワイン」ブランドでワイン造りを展開しているという。
「安心院は標高200㍍で、日照時間が長く昼夜間の気温差が激しい地域なので、良質なワインができます」と話すのは安心院葡萄酒工房の内野隆之さん。一般的なデラウェアやシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランといった品種を使ったワインのほか、安心院の山里にあるイモリの形をした松本地区(通称イモリ谷)産のブドウを使ったワイン造りも展開している。また、園内の醸造場や貯蔵庫、ブドウ畑では、醸造工程や栽培中のブドウの見学ができるので、ワインファンにはたまらないスポットとなりそうだ。もちろん、ワインの試飲もできるので、是非とも安心院ワインのクオリティをたしかめてほしい。
◆大分のまちおこし
08年の統計によると、大分県の県内総生産は4兆4723億円で47都道府県中31位、青森、富山、石川と並ぶ実力でルクセンブルグとほぼ同じGDPだ。総人口(08年)は120万人で33位、過去13年間の人口増加率を見てみると0・2㌫で、全国29位という状況になっている。
人口減少の動きに歯止めをかけることは難しいが、それならばそれぞれの地域が個性を生かし、持続可能な社会を目指すべきだ。ということで、小藩分立だった大分の個性を生かし、地域ごとの特有な地域づくりが展開されている。そこで、大分らしい地域資源を活用した地域おこしの事例を取り上げてみたい。
〈サンドイッチ型城下街の情緒でまちおこし〉
杵築市には杵築城を中心に、南北の高台に武家屋敷が建っている。そして、その谷間に商人の町が挟まれている。このように凸凹になった「サンドイッチ型城下町」は、全国でも杵築だけといわれる。今回ガイドを買ってくれた杵築を愛する会代表の平田泰彦さんは「武家屋敷や街並み、そのひとつひとつに江戸時代の生活の知恵が込められています。それをひとりでも多くの人たちに紹介したい」と。
そんな江戸時代の面影を残した武家屋敷や商人街を歩くと、まるでタイムスリップしたかのような気持ちになる。実際、2010年11月には全国初の「きものが似合う歴史的町並み」に認定されたそうだ。また、杵築市ではこの江戸情緒を生かすために、2011年4月1日に南杵築の中根邸内に『~きものレンタル~ 和楽庵』をオープンし、2000円で着物のレンタルや着付けを行ってくれるサービスもはじめた。平田さんは「これを機にもっと江戸時代の生活を体験できるまちにしたい。たとえば、道路を砂利道にして、杵築に来る観光客に草鞋を履いてもらう。そうすれば、当時の生活をより肌身で感じられるはずです」と。
また、商人街には創業260年以上の老舗「お茶のとまや」など、古くからの商家が軒を連ねているので、町人気分でショッピングを楽しむことができそうだ。そのほか、大正時代の酒蔵を改装した大衆演劇場「きつき衆楽観」などもあるので、午前中は街歩き、午後は観劇といった旅を楽しむことができる。
〈温泉資源をフル活用して地域を元気に〉
大分の温泉地のなかでも屈指の規模を誇る別府市。平成17年現在、県内16市町村に温泉が存在し、総源泉数は5053孔(未利用含む)、これは全国の18㌫にあたるという。なかでも地獄の中心に位置し、別府一の湯量を誇るのが鉄輪(ルビ・かんなわ)温泉街として知られる。お湯の温度が98℃~103℃にも上ることから、おもしろい装置を導入しているという。それが「ひょうたん温泉」の敷地に設置された竹製温泉冷却装置「夢雨竹(ルビ・ゆめたけ)」だ。装置上部の檜の桶にお湯をため、そこから溢れたお湯を竹枝伝いに落として水滴状にする。そうすることでお湯の温度を47℃前後にまで下げることができるという。
また、このあたりは地獄蒸し調理が非常に盛んなことでも知られる。地獄蒸しとは温泉の蒸気を使って、肉や魚、野菜を蒸す調理法のこと。地獄釜を貸してくれる宿や施設に立ち寄れば、好きな食材を調理することができる。「鉄輪温泉街の泉質はミネラル含有量が高くて、少し塩っ気がある。そのため、温泉の蒸気で調理すると、ヘルシーかつ美味しい仕上がりになります」と鉄輪温泉街を案内してくれたホテル風月社長の甲斐賢一さんは話す。
外湯巡りの充実ぶりも魅力的だ。そのひとつ、一遍上人が開祖といわれる共同浴場「鉄輪むし湯」では温泉の蒸気で身体を蒸す「むし湯」を体験できる。室内には石菖という薬草が敷き詰められており、その上にしばらく横たわれば「スッキリとした気分になれること間違いナシ」だとか。また、むし湯と並んでもっとも古い共同浴場である「熱の湯温泉」は入浴料金がタダだというから素晴らしい。そのほかにも鉄輪温泉街には8つの立ち寄り湯があるので、すべてを制覇してみるのもいいだろう。
街中のいたるところで見かける句碑もユニークだ。これは甲斐さんも所属する地元の地域おこしグループ「鉄輪愛酎会」が行う「鉄輪俳句筒・湯けむり散歩」の活動で建てたもの。鉄輪のアチコチに設置した竹の筒のポストで俳句を募集し、年に一度の審査によって、その年の最優秀賞が選ばれ句碑が建てられるそうだ。すでに鉄輪温泉街には約30カ所に句碑が建てられているという。観光客も巻き込んだ地域おこしが大いに人気を集めている。
〈昭和レトロを生かして商店街を活性化〉
豊後高田市の中心市街地は昭和30年代に国東半島でもっとも栄えた地域だったという。しかし、それ以降は徐々に人口流出がすすむようになり、気付けばシャッター通り化が進行していたという。そこで、01年に「豊後高田 昭和の町」というプロジェクトが発足。豊後高田市の8つの商店街と「昭和ロマン蔵」を中心として、昭和の建物やレトログッズ、当時の食べ物などを満喫できるようなまちづくりを行うことに。「昭和の建築、歴史、商品、商人の再生を軸としてまちづくりがすすめられてきました」とガイドの河野峯子さんは話す。建物に関しては昭和30年代以前の建物を外壁だけリフォームしたものが多かったので、外壁を外して元の姿を出すようにしたという。そうしてできあがった商店の店内や店先にはその店、その商店街の歴史を象徴する道具などがディスプレイされている。そして、それぞれの店が昭和30年代をテーマにした商品やサービスを開発し、積極的に販売している。
もちろん、豊後高田の商人魂も復活、という取り組みも。たとえば「肉のかなおか」の前を通ると、お店の方が「ご試食いかが」と自慢のおからコロッケ(1個50円)をすすめてくれた。その美味しさと安さに驚いて納得して店内に入ると、ついついほかのモノにも目移りして思いがけない買い物をしてしまう。これが昭和の商い、対面販売の真髄を体験できる。
09年には昭和32年式のボンネットバスが導入され話題になった。エアコンも扇風機もついていないレトロバスで街中観光に出掛ければ、バスガイドさんの軽快なトークとともに楽しいひと時をすごすことができる。そして、バスの車窓からは商店主や道行く人たちがバスに向かって笑顔で手を振る姿が見えてくる。地域一丸となって商店街を元気にしたい、そんな想いがヒシヒシと伝わってくる光景である。
◆大分の中小企業
帝国データバンクの調査によれば、大分県の飲食業の総売上高は979億円で、その構成比は全国トップの1・83㌫。また、製造業総売上高は1兆5697 億で、構成比は全国11位の16・81㌫となっている。高度成長期に大分臨海工業地帯が形成され、最近でも電子工業などの立地がすすんでいるため、全国平均に比べ第二次産業の占める割合が高いのが特徴だ。ちなみに、近年は隣接する福岡県宮若市や苅田町に自動車関連企業の集積がすすんだため、主に県北部に自動車産業の立地がすすんでいる。他方、大分から独自の製品やサービスを発信する中小企業もグングン伸びてきている。将来、大分を背負って立ちそうな企業のビジネスを紹介したい。
〈ダンボール素材がマネキンやフィギュアに
(株)アキ工作社(大分県国東市)が手がけるのはマネキン、動物のミニチュアフィギュア、ギフト用のパッケージ、アート雑貨など。同社はこれらすべてをダンボールの板材で製作している。レーザー機で切断したダンボールの板材を組み合わせると、マネキンやミニチュアフィギュアができあがるという仕組みだ。形態の設計や加工はすべてコンピューターで処理しているという。
副社長の竹下洋子さんはもともニット製品のデザインを手がけていた。展示会を開催するため、おもしろいマネキンを探したものの目当てのものは見つからない。そこで建築家で夫の松岡勇樹さん(現社長)が建築のノウハウでダンボール製のマネキンを自作。これが人気を呼び、マネキン製作会社として同社を設立することになったという。その後、高いデザイン性とエコな点が評価され、アパレル関係や美容室から引っ張りダコに。視点を変え、動物の造形を自分で組み立てられるようにしたミニチュアフィギュアは、国内外の百貨店やミュージアムショップから注文がきているという。
さらに同社ではダンボール板材を使ったディスプレイ用の人台(洋服などの商品を着せるための人型の台)や人型ロボットを開発。そのユニークな造詣で海外のアーティストからも高い評価を得ているという。ダンボールがアートにヘンシン、今後の展開にも要注目の元気企業だ。
・タクシーやトラックの無線に革命を起こす
モバイルクリエイト(株)(大分県大分市)はタクシー会社向けの車両管理システム「新視令」を開発し、業界に風穴を開けたベンチャー企業だ。このシステムと従来のタクシー無線との違いは「GPSを利用して、リアルタイムにすべてのタクシーが走っている場所や待機場所をひと目でわかるようにしたことだ」と社長の村井雄司さんは話す。配車センターですべての状況を把握できるので、乗客にスピーディーに対応できるだけでなく、ドライバーの労働効率を高めることにもつながるという。すでに県内のタクシー会社の7~8割がこのシステムを導入しており、その勢いは九州の枠も超え、全国に広がっている。
さらに、同社は現在、車載端末と3Gデータ通信が一体となったAVM車載端末(Automatic Vehicle Monitoring System)を販売中。「タクシー無線は2016年5月31日までに現行のアナログ通信方式からデジタル方式へ完全移行することが決定しています。しかも、業務無線は利用できるエリアが狭く、データ通信の容量が小さいという欠点があります。そこで、これを機にNTTドコモFOMA網を利用し、デジタル対応のAVM車載端末を開発したのです」と話す。たしかにFOMA網を活用すれば、新たに無線用の基地局を建てたり、免許を取得する必要もない。まさにこの読みは見事に的中、「低コストで無線のデジタル化をはかることができる」ということで、急速にシェアを拡大しているそうだ。今後もタクシー業界や運送業界のニーズを捉えることで、新たな市場を見出していくに違いない。
・金属探知機が鳴らない竹製椅子を開発
最後に紹介するのはサン創ing(大分県日出町)の三浦陽治さんは竹製車椅子を開発し、時の人となっている。もともと三浦さんは建築事務所を経営していたが、一時は経営破綻寸前に陥り、89年に木工家具の製造や内装工事に事業をシフトさせた。「もともとモノづくりが好きだったし、金融機関の方や周囲の支えがあったから何とか業態転換をはかることができました」と振り返る。
そんな三浦さんが竹製車椅子に取り組むようになったのは02年頃のこと。大分県産業科学技術センターと大分県竹工芸・訓練支援センターが商品化した竹製車椅子の技術移転を受けたのだ。以来、三浦さんは竹製車椅子の改良に没頭、座り心地やブレーキの効き具合などを何度も調整し、着実に販売実績を重ねていった。
この三浦さんの取り組みに目を付けたのがJALだった。「保安検査の際に、車椅子が金属探知機に反応しないようにならないか」と模索していた同社は、三浦さんに「非金属の竹製車椅子をつくれないか」と依頼。さっそく、三浦さんは車軸、軸、軸受け、ブレーキ、ベアリングなどを非金属で製作し、金属探知機が鳴らない竹製椅子を完成させた。「完成までには4年近い歳月を要しましたが、満足のいく仕上がりになりました」とにこやかに笑う。すでに羽田空港や大分空港などで使用されており、今後も複数の空港で利用されることになるという。三浦さんは「これからも大分の地域資源である竹を生かした商品開発をすすめていきたい」と意欲を燃やしている。
このように大分には次代を担う中小企業たちが数多く存在し、それらが連携しながらまちおこしなどにもチャレンジしている。そして、その多くが地域資源や顧客ニーズを巧みに吸い上げ、個性的なビジネスを展開している。それはまさに小藩分立、一村一品運動によって培われた大分の気風なのかもしれない。
〈カコミ〉
大分出身の偉人と豊かさ
大分県が生んだ偉人を探してみる。筆頭に上がるのが福沢諭吉(1835年ー1901年)だ。豊前中津藩の下級武士の子だったが、今は1万円札の顔になっている。「学問のすすめ」「西洋事情」などベストセラーを連発、慶應義塾を開くなど日本の近代化に大きく貢献した。処世の姿勢が同時代人とはかけ離れてユニークだったが、自分が育った豊前を嫌っていたという。
豊前は文化圏的には現在福岡県に属する北九州市(小倉)と親和性がある。中津は現在の大分県と福岡県との県境を流れる山国川の沖積平野に発達した商業都市だ。中津の名産といえば鱧(ルビ・ハモ)だから、諭吉も中津時代にハモを食したのではないか。諭吉は子どもの時分、冬場でも薄い着物一枚で寝たといっている。豊前はたしかに年を通じて気候温暖で、食物が豊富な地域だ。それもこうした元気人間を生んだ要因ではないだろうか。
大分の元気人間といえば、双葉山定次(1912年ー1968年、大相撲の第36代横綱)だ。大分県宇佐郡天津村の生まれ、本場所での通算69連勝、優勝12回、全勝8回などを記録。双葉山は70勝がならなかった日に師と仰ぐ安岡正篤に「未だ木鶏たりえず」と打電したといわれる。この木鶏の話は白鵬の最多連勝記録63連勝のときにも話題になった。
宇佐平野は駅舘川の扇状地にあり江戸時代から有数の米穀の産地だった。この平野に沿った海が豊前海で、古くから漁港を有してきた。双葉山の体力の源は宇佐の豊かな地魚と米だったのではないか。
ちなみに、来年は双葉山誕生100周年にあたり、大分県宇佐市の是永修治市長は双葉山生誕100年記念事業の一環として「超60連勝碑」を建立することを発表した。60連勝以上を記録した力士は双葉山と63連勝の谷風、白鵬の3人。碑は大分県宇佐市にある双葉山の記念館「双葉の里」の敷地内に建立され、12月3日に除幕式を行うという。白鵬が式典に参列する予定で、12月4日には宇佐神宮上宮で土俵入りを実施する。宇佐での土俵入りは昭和13年の双葉山以来73年ぶりとなる。
川路聖謨(1801年ー1868年)は幕末の旗本で豊後日田の生まれ。川路は幕末きっての開明派の名官吏で、阿部正弘に能力を買われ重用された。今でいえば日本を代表する抜群の有能外交官だ。有能なだけでなく、誠実で情愛深く、ユーモアに富んでいたという。和歌にも造詣が深く、全権としてロシアとの外交交渉にあたり、下田で日露和親条約に調印。その後、幕府の禁裏造営や軍制改革に尽力したが、江戸開城にあたり割腹した後にピストルで自殺、「最後の幕臣」とも呼ばれている。
ところで、川路は幼少の頃に鮎を食したのではないだろうか。日田は昔から「鮎やな」などによる鮎漁が盛んな地域だからだ。市の中心部を流れる三隈川をはじめ、花月川、大山川、玖珠川などが合流するため、日田は水郷日田とも呼ばれる。
日田には「うるか」と呼ばれる鮎の内臓を使った塩辛がある。幕末、開国要求で次々と来日する外国人との折衝に東奔西走した川路は、故郷の「うるか」を昼食のオカズにしていたのでないかと想像してみる。
◆大分の歴史 『古事記』によると、九州は6世紀前後には筑紫国・豊国・肥国・熊襲国に4分割されていたという。やがて豊国は、豊前と豊後に分かれる。江戸時代に一番大きい石高を誇ったのは10万石の中津藩で、そのほかに杵築藩、日出藩、府内藩、臼杵藩、佐伯藩、岡藩、森藩の8藩、加えて熊本・島原・延岡藩の飛び地が入り乱れる「小藩分立」の様相を呈していた。また、大友宗麟の治世に西洋文化を取り入れた府内藩は国際都市として賑わうように。そして現在、大分県は豊前2郡(下毛、宇佐)と豊後8郡(国東、速見、大分、海部、大野、直入、玖珠、日田)で成り立っている。
さて、おつぎは大分の食を訪ねてみたい。大分県は標高0㍍から1000㍍近くまで耕地が分布し、耕地面積の約7割が中山間地域。起伏の多い地形でコメを主に、野菜、果樹、花き、肉用牛などが生産されている。また、県土の72㌫を占める森林では、木材の生産をはじめ、しいたけなどの特用林産物が生産されている。 一方、海の幸はどうか。大分県の海岸線の総延長は759㌔㍍(全国13位)で、日本三大干潟のひとつである豊前海やリアス式海岸の豊後水道など、実に変化に富んだ地形を有している。そして、その地形ごとに特徴ある漁業や養殖業が営まれている。たとえば、豊前海は干潟と平坦な浅海からなるため、採貝漁業、ノリ養殖業、幼稚魚の育成場とされている。また、豊後灘・別府湾は外洋水と内海水が混合しており、小型底引き網や刺網による漁獲、車エビ、カキなどの養殖が盛ん。豊後水道北部・南部はリアス式海岸と天然の磯に恵まれ、沖合・遠洋ではマグロは縄漁業、沿岸部では中高級魚の一本釣り、魚類や貝類養殖業が営まれている。
08年の統計によると、大分県の県内総生産は4兆4723億円で47都道府県中31位、青森、富山、石川と並ぶ実力でルクセンブルグとほぼ同じGDPだ。総人口(08年)は120万人で33位、過去13年間の人口増加率を見てみると0・2㌫で、全国29位という状況になっている。 人口減少の動きに歯止めをかけることは難しいが、それならばそれぞれの地域が個性を生かし、持続可能な社会を目指すべきだ。ということで、小藩分立だった大分の個性を生かし、地域ごとの特有な地域づくりが展開されている。そこで、大分らしい地域資源を活用した地域おこしの事例を取り上げてみたい。
杵築市には杵築城を中心に、南北の高台に武家屋敷が建っている。そして、その谷間に商人の町が挟まれている。このように凸凹になった「サンドイッチ型城下町」は、全国でも杵築だけといわれる。今回ガイドを買ってくれた杵築を愛する会代表の平田泰彦さんは「武家屋敷や街並み、そのひとつひとつに江戸時代の生活の知恵が込められています。それをひとりでも多くの人たちに紹介したい」と。 そんな江戸時代の面影を残した武家屋敷や商人街を歩くと、まるでタイムスリップしたかのような気持ちになる。実際、2010年11月には全国初の「きものが似合う歴史的町並み」に認定されたそうだ。また、杵築市ではこの江戸情緒を生かすために、2011年4月1日に南杵築の中根邸内に『~きものレンタル~ 和楽庵』をオープンし、2000円で着物のレンタルや着付けを行ってくれるサービスもはじめた。平田さんは「これを機にもっと江戸時代の生活を体験できるまちにしたい。たとえば、道路を砂利道にして、杵築に来る観光客に草鞋を履いてもらう。そうすれば、当時の生活をより肌身で感じられるはずです」と。 また、商人街には創業260年以上の老舗「お茶のとまや」など、古くからの商家が軒を連ねているので、町人気分でショッピングを楽しむことができそうだ。そのほか、大正時代の酒蔵を改装した大衆演劇場「きつき衆楽観」などもあるので、午前中は街歩き、午後は観劇といった旅を楽しむことができる。
大分の温泉地のなかでも屈指の規模を誇る別府市。平成17年現在、県内16市町村に温泉が存在し、総源泉数は5053孔(未利用含む)、これは全国の18㌫にあたるという。なかでも地獄の中心に位置し、別府一の湯量を誇るのが鉄輪(ルビ・かんなわ)温泉街として知られる。お湯の温度が98℃~103℃にも上ることから、おもしろい装置を導入しているという。それが「ひょうたん温泉」の敷地に設置された竹製温泉冷却装置「夢雨竹(ルビ・ゆめたけ)」だ。装置上部の檜の桶にお湯をため、そこから溢れたお湯を竹枝伝いに落として水滴状にする。そうすることでお湯の温度を47℃前後にまで下げることができるという。 また、このあたりは地獄蒸し調理が非常に盛んなことでも知られる。地獄蒸しとは温泉の蒸気を使って、肉や魚、野菜を蒸す調理法のこと。地獄釜を貸してくれる宿や施設に立ち寄れば、好きな食材を調理することができる。「鉄輪温泉街の泉質はミネラル含有量が高くて、少し塩っ気がある。そのため、温泉の蒸気で調理すると、ヘルシーかつ美味しい仕上がりになります」と鉄輪温泉街を案内してくれたホテル風月社長の甲斐賢一さんは話す。 外湯巡りの充実ぶりも魅力的だ。そのひとつ、一遍上人が開祖といわれる共同浴場「鉄輪むし湯」では温泉の蒸気で身体を蒸す「むし湯」を体験できる。室内には石菖という薬草が敷き詰められており、その上にしばらく横たわれば「スッキリとした気分になれること間違いナシ」だとか。また、むし湯と並んでもっとも古い共同浴場である「熱の湯温泉」は入浴料金がタダだというから素晴らしい。そのほかにも鉄輪温泉街には8つの立ち寄り湯があるので、すべてを制覇してみるのもいいだろう。 街中のいたるところで見かける句碑もユニークだ。これは甲斐さんも所属する地元の地域おこしグループ「鉄輪愛酎会」が行う「鉄輪俳句筒・湯けむり散歩」の活動で建てたもの。鉄輪のアチコチに設置した竹の筒のポストで俳句を募集し、年に一度の審査によって、その年の最優秀賞が選ばれ句碑が建てられるそうだ。すでに鉄輪温泉街には約30カ所に句碑が建てられているという。観光客も巻き込んだ地域おこしが大いに人気を集めている。
豊後高田市の中心市街地は昭和30年代に国東半島でもっとも栄えた地域だったという。しかし、それ以降は徐々に人口流出がすすむようになり、気付けばシャッター通り化が進行していたという。そこで、01年に「豊後高田 昭和の町」というプロジェクトが発足。豊後高田市の8つの商店街と「昭和ロマン蔵」を中心として、昭和の建物やレトログッズ、当時の食べ物などを満喫できるようなまちづくりを行うことに。「昭和の建築、歴史、商品、商人の再生を軸としてまちづくりがすすめられてきました」とガイドの河野峯子さんは話す。建物に関しては昭和30年代以前の建物を外壁だけリフォームしたものが多かったので、外壁を外して元の姿を出すようにしたという。そうしてできあがった商店の店内や店先にはその店、その商店街の歴史を象徴する道具などがディスプレイされている。そして、それぞれの店が昭和30年代をテーマにした商品やサービスを開発し、積極的に販売している。 もちろん、豊後高田の商人魂も復活、という取り組みも。たとえば「肉のかなおか」の前を通ると、お店の方が「ご試食いかが」と自慢のおからコロッケ(1個50円)をすすめてくれた。その美味しさと安さに驚いて納得して店内に入ると、ついついほかのモノにも目移りして思いがけない買い物をしてしまう。これが昭和の商い、対面販売の真髄を体験できる。 09年には昭和32年式のボンネットバスが導入され話題になった。エアコンも扇風機もついていないレトロバスで街中観光に出掛ければ、バスガイドさんの軽快なトークとともに楽しいひと時をすごすことができる。そして、バスの車窓からは商店主や道行く人たちがバスに向かって笑顔で手を振る姿が見えてくる。地域一丸となって商店街を元気にしたい、そんな想いがヒシヒシと伝わってくる光景である。
帝国データバンクの調査によれば、大分県の飲食業の総売上高は979億円で、その構成比は全国トップの1・83㌫。また、製造業総売上高は1兆5697 億で、構成比は全国11位の16・81㌫となっている。高度成長期に大分臨海工業地帯が形成され、最近でも電子工業などの立地がすすんでいるため、全国平均に比べ第二次産業の占める割合が高いのが特徴だ。ちなみに、近年は隣接する福岡県宮若市や苅田町に自動車関連企業の集積がすすんだため、主に県北部に自動車産業の立地がすすんでいる。他方、大分から独自の製品やサービスを発信する中小企業もグングン伸びてきている。将来、大分を背負って立ちそうな企業のビジネスを紹介したい。
モバイルクリエイト(株)(大分県大分市)はタクシー会社向けの車両管理システム「新視令」を開発し、業界に風穴を開けたベンチャー企業だ。このシステムと従来のタクシー無線との違いは「GPSを利用して、リアルタイムにすべてのタクシーが走っている場所や待機場所をひと目でわかるようにしたことだ」と社長の村井雄司さんは話す。配車センターですべての状況を把握できるので、乗客にスピーディーに対応できるだけでなく、ドライバーの労働効率を高めることにもつながるという。すでに県内のタクシー会社の7~8割がこのシステムを導入しており、その勢いは九州の枠も超え、全国に広がっている。 さらに、同社は現在、車載端末と3Gデータ通信が一体となったAVM車載端末(Automatic Vehicle Monitoring System)を販売中。「タクシー無線は2016年5月31日までに現行のアナログ通信方式からデジタル方式へ完全移行することが決定しています。しかも、業務無線は利用できるエリアが狭く、データ通信の容量が小さいという欠点があります。そこで、これを機にNTTドコモFOMA網を利用し、デジタル対応のAVM車載端末を開発したのです」と話す。たしかにFOMA網を活用すれば、新たに無線用の基地局を建てたり、免許を取得する必要もない。まさにこの読みは見事に的中、「低コストで無線のデジタル化をはかることができる」ということで、急速にシェアを拡大しているそうだ。今後もタクシー業界や運送業界のニーズを捉えることで、新たな市場を見出していくに違いない。
最後に紹介するのはサン創ing(大分県日出町)の三浦陽治さんは竹製車椅子を開発し、時の人となっている。もともと三浦さんは建築事務所を経営していたが、一時は経営破綻寸前に陥り、89年に木工家具の製造や内装工事に事業をシフトさせた。「もともとモノづくりが好きだったし、金融機関の方や周囲の支えがあったから何とか業態転換をはかることができました」と振り返る。 そんな三浦さんが竹製車椅子に取り組むようになったのは02年頃のこと。大分県産業科学技術センターと大分県竹工芸・訓練支援センターが商品化した竹製車椅子の技術移転を受けたのだ。以来、三浦さんは竹製車椅子の改良に没頭、座り心地やブレーキの効き具合などを何度も調整し、着実に販売実績を重ねていった。 この三浦さんの取り組みに目を付けたのがJALだった。「保安検査の際に、車椅子が金属探知機に反応しないようにならないか」と模索していた同社は、三浦さんに「非金属の竹製車椅子をつくれないか」と依頼。さっそく、三浦さんは車軸、軸、軸受け、ブレーキ、ベアリングなどを非金属で製作し、金属探知機が鳴らない竹製椅子を完成させた。「完成までには4年近い歳月を要しましたが、満足のいく仕上がりになりました」とにこやかに笑う。すでに羽田空港や大分空港などで使用されており、今後も複数の空港で利用されることになるという。三浦さんは「これからも大分の地域資源である竹を生かした商品開発をすすめていきたい」と意欲を燃やしている。 このように大分には次代を担う中小企業たちが数多く存在し、それらが連携しながらまちおこしなどにもチャレンジしている。そして、その多くが地域資源や顧客ニーズを巧みに吸い上げ、個性的なビジネスを展開している。それはまさに小藩分立、一村一品運動によって培われた大分の気風なのかもしれない。
大分出身の偉人と豊かさ 大分県が生んだ偉人を探してみる。筆頭に上がるのが福沢諭吉(1835年ー1901年)だ。豊前中津藩の下級武士の子だったが、今は1万円札の顔になっている。「学問のすすめ」「西洋事情」などベストセラーを連発、慶應義塾を開くなど日本の近代化に大きく貢献した。処世の姿勢が同時代人とはかけ離れてユニークだったが、自分が育った豊前を嫌っていたという。 豊前は文化圏的には現在福岡県に属する北九州市(小倉)と親和性がある。中津は現在の大分県と福岡県との県境を流れる山国川の沖積平野に発達した商業都市だ。中津の名産といえば鱧(ルビ・ハモ)だから、諭吉も中津時代にハモを食したのではないか。諭吉は子どもの時分、冬場でも薄い着物一枚で寝たといっている。豊前はたしかに年を通じて気候温暖で、食物が豊富な地域だ。それもこうした元気人間を生んだ要因ではないだろうか。 大分の元気人間といえば、双葉山定次(1912年ー1968年、大相撲の第36代横綱)だ。大分県宇佐郡天津村の生まれ、本場所での通算69連勝、優勝12回、全勝8回などを記録。双葉山は70勝がならなかった日に師と仰ぐ安岡正篤に「未だ木鶏たりえず」と打電したといわれる。この木鶏の話は白鵬の最多連勝記録63連勝のときにも話題になった。 宇佐平野は駅舘川の扇状地にあり江戸時代から有数の米穀の産地だった。この平野に沿った海が豊前海で、古くから漁港を有してきた。双葉山の体力の源は宇佐の豊かな地魚と米だったのではないか。 ちなみに、来年は双葉山誕生100周年にあたり、大分県宇佐市の是永修治市長は双葉山生誕100年記念事業の一環として「超60連勝碑」を建立することを発表した。60連勝以上を記録した力士は双葉山と63連勝の谷風、白鵬の3人。碑は大分県宇佐市にある双葉山の記念館「双葉の里」の敷地内に建立され、12月3日に除幕式を行うという。白鵬が式典に参列する予定で、12月4日には宇佐神宮上宮で土俵入りを実施する。宇佐での土俵入りは昭和13年の双葉山以来73年ぶりとなる。 川路聖謨(1801年ー1868年)は幕末の旗本で豊後日田の生まれ。川路は幕末きっての開明派の名官吏で、阿部正弘に能力を買われ重用された。今でいえば日本を代表する抜群の有能外交官だ。有能なだけでなく、誠実で情愛深く、ユーモアに富んでいたという。和歌にも造詣が深く、全権としてロシアとの外交交渉にあたり、下田で日露和親条約に調印。その後、幕府の禁裏造営や軍制改革に尽力したが、江戸開城にあたり割腹した後にピストルで自殺、「最後の幕臣」とも呼ばれている。 ところで、川路は幼少の頃に鮎を食したのではないだろうか。日田は昔から「鮎やな」などによる鮎漁が盛んな地域だからだ。市の中心部を流れる三隈川をはじめ、花月川、大山川、玖珠川などが合流するため、日田は水郷日田とも呼ばれる。 日田には「うるか」と呼ばれる鮎の内臓を使った塩辛がある。幕末、開国要求で次々と来日する外国人との折衝に東奔西走した川路は、故郷の「うるか」を昼食のオカズにしていたのでないかと想像してみる。
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最終更新 2012年 3月 22日(木曜日) 17:34 |