経済ニュース
きふきふ*ふるさと往来クラブ
在日新華僑
東方通信社発行 学苑報
花火師 神田隆善 |
2010年 8月 09日(月曜日) 14:57 | |
埼玉県東秩父市 夏の夜空を彩る打ち上げ花火、その一瞬に花火師たちは花火人生を賭ける。「美しい花火とは『玉の座り』『盆』『消え口』の3拍子が揃っていることだ」と。そう話すのは埼玉県東秩父村の花火師・神田隆喜。玉の座りとは玉がちょうど上昇力を失った瞬間に破裂すること、盆は花火が開いたときの形状が真ん丸であること、そして消え口は花火の火花が一斉に消え去ることを意味する。 隆喜が取締役を務める神田煙火工業㈲は1861年(文久元年)から花火作りを行っている老舗だ。工場は人里離れた秩父の山中にある。「火薬取締法によって、街中で火薬を扱うことはできない。そのため、多くの花火師が山奥に工場を移した。当然、資本力がないところは廃業していった」と。 花火師の生活を聞いてみた。花火師は冬のうちから玉の仕込みをはじめる。納得のいく尺玉を作ろうとすると、ひとつ作るのに半年ほどかかってしまうという。しかし、「近年は量産を求められることが多くなってきた。納得のいく尺玉を作りたい」と隆喜は呟く。 作りかけの玉の内部を見てみると、その外側には星と呼ばれる火薬玉が整然と並べられており、中央には割火薬が詰め込まれている。この星を二重にしたり、三重にしたりして、花火の輪を二重、三重にするのだそうだ。 外側はクラフト紙などで覆われるが、その貼り方にもコツがいる。「紙の厚さを均等にしなければ、玉が破裂したときに星の散り具合にムラッ気が出てしまう。かといって、紙を何十枚も重ねておかないと、爆発の音の破裂音がシッカリと出ない」と。ちなみに、尺玉ともなるとクラフト紙を300枚近くも重ね合わせるという。 まさに職人の経験とカンだけが頼りの仕事だが、花火師の仕事は玉作りだけにとどまらない、プロデューサーでもある。花火大会やイベントの主催者と花火の内容を決め、役場などへの事前の許認可から当日の運営までを取り仕切らなければならないからだ。「つねに安全第一、入念にリハーサルを行う。しかも天気や風向きには細心の注意を払わなければならない」そうだ。神経を使う仕事だ。そして、打ち上げの瞬間が。観客からは「タマ屋ー」の歓声が、花火師冥利につきるとはこのことか。 そんな隆喜が花火に魅せられたのは小学校2、3年の頃。「父が寄居中学校の落成式で花火を打ち上げるというので、現場に遊びに行った。すると、突然『筒のなかに火を入れてみろ』といわれた。怖くて逃げ出そうとしたが、半ば強引に火を入れさせられた」そうだ。着火すると「シュッ」という音ともに玉が飛び出し、つぎの瞬間には「パン」と乾いた音が上空から響いてきた。その一瞬の出来事に隆喜は魅せられた。以来、「筒のなかに火を入れる瞬間が、たまらなく好きになってしまった」と目を細める。 だが、職人としての経験を積むにつれて「花火は打ち上げてみるまでわからない。だから、どうしても打ち上げの直前は期待と不安が入り混じってしまう。しかし、その緊張感もまた打ち上げ花火の醍醐味だ」と思えるように。今年も30カ所以上の現場を抱えているという隆喜。花火師たちの夏はいよいよ本番を迎える。
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最終更新 2010年 8月 09日(月曜日) 15:34 |