経済ニュース
きふきふ*ふるさと往来クラブ
在日新華僑
東方通信社発行 学苑報
日本のテレビドラマで親日派に転進!! 奨学生生活を経てグローバル企業で活躍中!! |
2011年 10月 18日(火曜日) 16:07 | |||
浙江大学で電子工学を学んだ後に日本に来日。その後、公益財団法人秋元国際奨学財団の支援を受けて、京都大学大学院を卒業したという温允氏。現在は富士通研究所に勤務し、中国の現地法人とともに新商品の開発に取り組んでいるという。さっそく、自身を振り返ってもらいながら、日本に対する思いを語ってもらった。 謝宏宇・北京放送東京支局長 ご出身はどこですか。 温允・富士通研究所 浙江省温州の平陽(ルビ・へいよう)県というところです。主な産業は革靴をはじめとした皮革製品やライターの製造で、欧州などに安価に輸出しています。 謝 中国ではどんな勉強をしてきましたか。 温 浙江大学で電子工学を学びました。ケータイに使われる電子回路の設計などを学んだりしてきました。 謝 どういった経緯で来日することになったのですか。 温 もともと私はいろんな原因で、あまり日本のことが好きではありませんでした。ところが、大学の友人が日本語を勉強しはじめ、ある日、日本のテレビドラマ『GTO』を見たらどうかとすすめられたのです。これは破天荒な教師が活躍する学園ドラマなのですが、とにかく主人公の教師は生徒のためになら何でもするようなキャラクターなのです。そして、私はこのドラマを見ているうちに、こんなに熱い思いを持った人たちがいる国になら行ってみたいと思うようになったのです。それで、独学で日本語を勉強しはじめ、日本に留学することにしたのです。親戚には反対されましたが、父親だけは「お前がやりたいようにすればいい」と応援してくれました。 謝 来日したのはいつですか。 温 05年係月のことです。最初の1年は京都外国語大学で日本語の勉強をしました。その後、京都工芸繊維大学の研究生になり、翌年には京都大学大学院に入学することができました。 謝 日本語を学ぶのは大変でしたか。 温 最初は同じ漢字を使っているのだからカンタンだろうと思っていましたが、いざ本格的に勉強してみるとなかなか大変でした。とくにカタカナには苦労しました。とくに私は理工系なので、授業などでカタカナがたくさん出てきて頭が混乱ました。 謝 来日した当初の生活はいかがでしたか。 温 最初の1カ月は日本語も話せないし、友だちも少ないし、非常に不安な日々がつづきました。日本語をほとんど話すことができなかったので、自分から日本人に話しかけることができず、ついついアパートに引きこもりがちになっていました。しかし、しだいに同じクラスの学生たちと話すようになり、日本人ともドンドン話せるようになっていきました。多くの日本人は私が外国人だとわかったら、丁ねいに話を聞いてくれたり話してくれたりしたので助かりました。 謝 日本で生活してみて、日本にどのような印象を持つようになりましたか。 温 授業中、学校のそばに右翼の街宣車が来て、中国人や韓国人を批難することがしばしばありました。もちろん、内容に関してはいい気がしませんでしたが、個人が自由に発言したり、活動できる環境があることに感心しました。一方で日本ではゴミの分別をはじめとした細かいルールがたくさんあります。しかし、それらはいずれも理にかなったものなので、割と素直に受け入れることができました。 謝 京都大学大学院に在籍していたときに、公益財団法人 秋元奨学財団の援助を受けたそうですね。 温 修士課程の1年目の終わりくらいに、大学の掲示板に秋元国際奨学財団の奨学金についての告知があるのを見て応募しました。2年生になると就職活動もあり、アルバイトがあまりできませんし、中国から彼女(現在の妻)を呼ぶことにしていたのでお金の面での不安があったのです。財団から1年にわたって支援してもらえたおかげで、無事に卒業することができたし、就職することができたと思っています。 謝 現在は富士通研究所にお勤めですね。 温 私はこれまでに電子工学や通信などの勉強をしてきたので、富士通のビジネスにマッチするのではないかと思い、応募しました。そして、ちょうど富士通はグローバル戦略を掲げていたので、中国人である私を採用してくれたのではないでしょうか。実際、現在は中国の子会社と一緒に新商品の開発を行っているところです。 謝 日本のサラリーマン生活はいかがですか。 温 今年で3年目になりますが、富士通研究所での生活は技術面の話が多いので、同僚とも非常に付き合いやすいです。ちなみに、社内のグローバル化もすすんでいて、私たちの部門には欧州や東南アジアなど、世界各地の人たちがいます。 謝 ところで、東日本大震災のときはどうしましたか。 温 妊娠していた妻は中国に帰らせましたが、私はそのまま日本にいました。上司からは帰りたければ年次休暇を使ってもいいといわれましたが、おそらく大丈夫だろうと思ったのです。それにしても、今回の震災ではパニックに陥らず冷静に物事に対応する日本人の姿が印象的でした。そのあたりは中国人も大いに学ぶところがあると思います。 謝 私も日本の人たちが復興に取り組む姿勢には感動を覚えました。これからもその思いを大切にして、日中友好に生かしてください。
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