日中の児童交流を促進しながら 日中両国で活躍できるIT人材になりたい!! 印刷
2012年 5月 10日(木曜日) 16:32

〈ゲスト〉

袁 菲(えん・ひ)

日中児童交流協会副会長

〈プロフィール〉

1981年生まれ。03年河北大学工学部パソコン情報処理専攻卒業。04年に来日し、05年まで杏林大学別科で日本語を学ぶ。06~07年国際電子会計専門学校。07~08年(株)新生システム。08年に(株)グローバルリンクスに入社後、現在に至る。2010年には日中児童交流協会に入会、副会長として日中児童の交流活動を展開している。 

袁菲氏はIT会社に勤務しながら、日中児童交流協会の副会長として、日中の児童交流に力を注いでいる。はたして、その半生はいかなるものだったのか。また、どのような活動を通して児童交流を行っているのか。さっそく、北京放送の謝宏宇東京支局長にインタビューしてもらった。

謝宏宇・北京放送東京支局長 どのような経緯で来日したのですか。

袁菲・日中児童交流協会副会長 もともと私は河北大学の工学部でコンピュータに関する研究を行い、中国の大手企業に内定をもらっていました。しかし、心のなかに「本当にこのまま安定した道を選択していいのか」という迷いがありました。そこで、母親の知り合いで、日本の東北大学を卒業した方がいたので、思い切って相談してみたのです。すると、その人から「普通の生活を送りたくないのであれば、日本にはいろんなチャンスがあるから留学してみるといい」というアドバイスを受け、思い切って留学することにしたのです。

謝 それまで日本とは何かしらの縁はあったのですか。

袁 母親の知り合いに同時通訳(日本語―中国語)で有名な日本の方がいて、その人に子どもの頃に日本製のウォークマンなどをもらったりしたことがありました。当時から日本の電気製品はどうしてこんなに高品質なのだろうと不思議でなりませんでした。また、私の母親はその人に招かれて、99年に日本旅行に出掛けたのですが、帰ってきてからは口癖のように日本は人もやさしいし、環境が静かで素晴らしい国だと話していました。

謝 来日したときの日本の印象はいかがでしたか。

袁 ハッキリ覚えているのは、04年に来日した翌日、となりの部屋のおばさんが道の落ちているタバコの吸殻を拾いながら私に挨拶をしてくれたことです。まちのゴミを拾うという習慣、それから気さくに見知らぬ人に挨拶をしてくれるやさしさに感動し、日本が素晴らしい国だと実感しました。

謝 来日してからはどのような生活を送っていましたか。

袁 最初は河北大学と提携していた杏林大学の別科で日本語を学びました。そして、その後は大学院に進学しようと準備していたのですが、50万円の貯金を中国人の友人に貸したところ踏み倒されてしまい、大学院への進学を諦めざるを得なくなってしまいました。そこで、国際電子会計専門学校で勉強することにしたのです。学費が安い専門学校であれば募集の締め切りが遅いので資金などの準備が間に合いましたし、もともと日本のITや会計学にも興味がありました。

謝 その間、アルバイトなどもしましたか。

袁 もちろんです。最初は日本語が話せなかったので、コミュニケーションがあまりいらない工場などで、1年間ほど働いていました。その後は24時間オープンの居酒屋や喫茶店などで働きました。

謝 アルバイトでの苦労はありましたか。

袁 最初の頃は日本語が不得手だったので、休憩時間を教えてもらえないといった嫌がらせにもあいました。また、居酒屋の洗い場でもシンクのなかに乱暴に皿やお椀を入れられたりもしました。しかし、日本語がまともに話せるようになると、そういったことはほとんどなくなりました。

謝 卒業後はどのような会社で働きはじめましたか。

袁 新生システムという会社を経て、グローバルリンクスという会社で働きはじめました。現在はそこで大手企業のソフトウェアやシステム開発などを行っています。

謝 どのような目標を持ちながら働いていますか。

袁 この前の現場で尊敬するプロジェクトマネージャーに出会いました。彼は日本語と中国語が堪能なだけでなく、非常にマネジメント能力に長けていました。日本は技術的なノウハウだけなく、優れた業務管理システムを持っています。そういったことを学びながら、いつかは日本と中国で活躍できるようになりたいと思っています。

謝 日中児童交流協会の副会長としても活躍していますが、どのような活動を展開しているのですか。

袁 私には小さな子どもがいるのですが、あるとき日中友好関係の団体は数多くあるのに、子ども関係の交流団体がほとんどないことに気付きました。そう思っていたときに日中児童交流協会の彭鹏代表と知り合うことができ、私も副会長として活動に参加させてもらうことにしたのです。協会では月例会議でアイデアを出し合い、どのような取り組みを行うか話し合っています。昨年の東日本震災に関しても、昨年5月には埼玉県富士見市の日中友好協会から勉強道具を預かり、それを福島の高校に運んだりしました。その後、横浜山手中華学校と連携し、小学生達が書いた絵を茨城避難所の子供達に贈りました。

謝 今後、児童交流に関してはどのようなことを行っていきますか。

袁 日中の子どもたちが交流する機会を増やしたいと思っています。たとえば、日本の子どもを中国に連れて行って、中国のテレビ「CCTV」の番組に出てもらったりできないかと考えています。また、中国ではサッカーだけでなく野球もはやっているので、少年野球の親善試合なども行っていきたいと思っています。

謝 ところで、東日本大震災の際には帰国しようと考えたりはしませんでしたか。

袁 日本が大好きで、特に東日本大震災時日本が一番大変な時期に、日本を離れなく、また、大事な仕事を抱えていましたし、会社側に迷惑を掛けることができませんので、帰国しようとは思いませんでした。そして、日本政府がしっかり守ってくれることを信じていました。

謝 これからも目標の実現に向けて頑張ってください。ありがとうございました。