日中の墓地・葬祭研究の第一人者が 比較文化を通じて日中交流を促進!! 印刷
2010年 10月 15日(金曜日) 13:48
日本と中国の墓地や葬祭の研究に没頭し、両国の比較文化論を展開している何彬氏。日中の違いを伝えることで、交流の促進をはかろうとしているという。その独自の研究テーマは日本と中国の民俗学界からも注目されている。そんな何氏に人民中国雑誌社の賈秋雅氏がインタビュー。民俗学と比較文化にかける思いを聞いた。

2010101506 首都大学東京都市教養学部
人文・社会系教授
何彬(か・ひん ヘ・ビン)
  中国北京市生まれ。北京師範大学大学院博士課程修了。東京都立大学人文学部中国文学科助教授を経て、首都大学東京都市教養学部人文・社会系教授に就任。著書に『浙江漢族の葬俗』(北京:中央民族大学出版社)などがある。現在、中国民俗学会副秘書長、中国民俗学界と日本民俗学界との交流の窓口を担当。研究論文や共著のほか、今年8月には王暁葵と共同主編、中国初の日本民俗学翻訳シリーズ『日本民俗学訳叢』(3冊セット)を北京で出版し、柳田國男の翻訳も担当した

賈秋雅・人民中国雑誌社東京支局長 何さんはどういったキッカケで日本語を勉強するようになったのですか。

何彬・首都大学東京都市教養学部人文・社会系教授 文化大革命がひとつのキッカケになりました。当時、私は清華大学付属小学校に通っており、そのまま付属中学、付属高校を出て、清華大学に入れるはずでした。ところが、私の家系は祖父が右派で、父が清華大学の幹部であったため、私の進学ができなくなってしまい、仕方なく工場勤めをすることになりました。ですが、父はせめて外国語だけは教えようと、私にコッソリと日本語を教えてくれたのです。それからは、合間を縫ってはラジオで日本語放送を聞いたりして、日本語に接してきました。

賈 その後、北京師範大学に入学されていますね。

何 77年に 小平が復帰したのを機に、いわゆる入学試験による大学への進学が認められるようになりました。しかし、最初の入試は壮絶で、これまで農村で必死に勉強してきた人たちで溢れ返っており、とても受けられるような状況ではありませんでした。それに日本語は得意でしたが、化学や物理といった教科をほとんど勉強していなかったので、かなり不利な状況にありました。しかも、79年からは入試に年齢制限が設けられるなどしたため、北京師範大学に進学することにしたのです。

賈 大学ではどのようなことを学んだのですか。

何 日本語科に入り、日本語をマスターすることに専念しました。その後、卒業論文で日本と中国の昔話の比較研究に挑戦したことが転機になりました。中国の昔話のことを調べるために中国文学学部の先生のもとを訪ねて以来、民間文学にハマッてしまったのです。そして、猛勉強の末、中国文学学部(民間文学・民俗学専攻)の大学院に進学することにしたんです。

賈 日本にはどのような経緯で来日したのですか。

何 所属の専攻に日本への留学枠があったのですが、そのためには日本語が話せることが条件になっていました。それで先生方の会議で日本語の成績がいい学生を送ろうということになり、私に白羽の矢が立ったのです。ちなみに留学にあたっては、私には日本の民俗学の学術史やフィールドワークの手法を学ぶことが課せられていました。そこで、私は柳田国男を学びながら、日本でのフィールドワークに挑戦していきました。そして、墓地や葬祭をテーマにしたフィールドワークを行うようになったのです。

賈 どうしてお墓をテーマにしたのですか。

何 中国の代表団と一緒に滋賀県に行ったときのことです。見ると、遺体を埋葬する墓地とお墓参りのための墓地があったのです。それは「両墓制」という習俗が受け継がれている地域でした。私たちはこの文化にビックリさせられました。埋葬用の墓地は共同利用されていて、埋葬の際に違った人の骨が出てくることもあったというからです。ちなみに、この両墓制は滋賀県だけでなく、埼玉や千葉などでも行われています。私はこういったことを知るにつれ、もっと深く墓や葬祭を研究して日本文化と中国文化の異同を明らかにしたいと思うようになったのです。そして、それからというもの日本中を歩き回って、各地の墓地や葬祭についての研究を重ねていきました。

賈 中国の墓地についてはどうですか。

何 あるとき、日本で中国の墓地や葬祭の慣習について聞かれたことがありますが、残念ながらハッキリと答えられませんでした。だから、思い切って博士論文のテーマにしてみようと思ったのです。それからは江蘇省や浙江省、福建省など、さまざまな地域の墓地や葬祭を調べて歩きました。もともと中国の南方ではあまり豪華な墓をつくっていなかったようですが、経済成長とともに地表に聳えるような巨大な墓をつくるようになりました。90年代になってからは、子どもが生まれたときから念入りに風水を調べて、あらかじめその子の墓をつくったりするなんていう例も出てきました。日本では縁起でもないといわれてしまいそうですね。

賈 その後、ふたたび日本での生活がはじまるのですね。

何 日本人の夫と結婚して子どもができたこと、東京都立大学(現在の首都大学東京)の客員研究員の話がきたことなどが重なって、日本で生活することにしました。その頃は中国文学の担当だったので、『紅楼夢』などを題材にして、民俗学の観点からあれこれと講義したりしていました。しかし、今は人類学専攻に移ったので、大手を振って日本と中国の民俗学を教えています。ときには、お墓や葬祭の話だけでは辛気臭いので、正月やお盆など、年中行事についての比較研究や中華料理の民俗学的研究なども行い、学生たちにその成果を講義しています。

賈 やはり日中の文化の間には大きなギャップがありますか。

何 そうですね。それぞれ特徴と独自性があります。が、それを認識する「文化の目」、文化的なまなざしを事前に養っておけば、文化の衝突なんていうことは避けられるはずです。それに、事前に相手のタブーや好まれることを知っていれば、おたがいに気持ちのいい関係をつくれるはずです。これは私の生き方でもあります。こういう考え方で、日本人と中国人の若者たちがたがいに歩み寄れるチャンスを増やしていきたいと思っています。最近、学生のなかには中国に興味を持ってくれる人たちが増えてきました。彼らが今後の日中関係を良好なものにしてくれると信じています。

賈 これからも日中の文化の架け橋として活躍してください。本日はどうもありがとうございました。