全国政治協商会議委員 |
2010年 7月 05日(月曜日) 00:00 |
全国政治協商会議委員 潘慶林(はん・けいりん パン・チンリン)
賈秋雅・人民中国雑誌社東京支局長 潘さんは中国人民政治協商会議で政治家として活躍されていますが、まずはこの政協会議とはどういうものなのですか。 賈秋雅 初めて来日したのは85年だそうですが、その経緯についてお聞かせください。 潘 北京で作家の小田実先生と出会ったことが来日のキッカケになりました。当時、中国は改革開放をはじめたばかりで、小田先生は毛沢東氏の本を書くために北京に滞在していました。先生は文化大革命や社会主義について書いていました。ある日、私は小田先生に「社会主義だけでなく資本主義も体験したほうがいい」といわれ、日本行きを決意したのです。賈 来日していろんな経験をされたそうですね。 潘 3つのアルバイトを経験しました。新宿駅のホームでの勤務に新聞配送、NHKでのアナウンサー業務です。当時はお金がなく、わずか3畳の部屋に住んでいました。 賈 来日してどのようなことを感じましたか。 潘 日本と中国は地理的には近くても、文化や習慣が大きく異なることを感じました。何よりもビックリしたのは日本人が毎日、必死に働いていることです。これは 大いに学ぶべきだと思いました。また、日本の観光客は中国に旅行する際、かならず万里の長城や故宮博物館を見物しますが、中国の観光客は日本に行って、化 粧品や洋服、時計、タバコなどにばかり興味を示します。日本の観光客は文化や歴史を重んじるのに対して、中国の観光客はショッピングばかりに気をとられて いるのです。もっと中国人も文化や歴史に関心を持つべきだと思います。賈 潘さんは天津の出身ですが、これから天津は日本にとってどのような地域になるでしょうか。 潘 海部の開発において、天津は上海や深に遅れをとった感じがします。ですが、ここにきて天津の発展には目を見張るものがあります。たとえば、天津―北京間には新幹線が開通し、わずか30分弱で往き来できるようになりました。これは企業誘致に関しても大きなメリットになっています。それに、第16回中国共産党代表大会では「北部の発展においては天津が重要だ」と発表されましたし、これからは天津の時代が到来するのではないでしょうか。 賈 天津の企業誘致は順調にすすんでいますか。 潘 とくに浜海新区は目覚しい発展を遂げています。最近は日本の飲食業、製薬業の中堅中小企業からも問い合わせがあります。天津は金融上のことや企業誘致にあたっての優遇政策が充実しているからです。が、一方で物価や人件費の高騰が問題視されています。これまでは安い労賃をウリにすることができましたが、経済成長とともにそれが難しくなってきているのです。私たちもそのことを危惧しており、新聞でもそういった論調が出てきました。ですから、これからは労賃と企業経営というのが話題になってくるのではないか。そういった点で、日本の労働組合のシステムは見習うべきところがあるように思います。 賈 国会議員として、天津にはどのように成長してほしいと思っていますか。 潘 天津には古くから数多くの疎開地があり、さまざまな国の人たちが住んでいました。そういった地盤を生かして、外国人が気楽に住めるまちにしていきたいと考えています。天津で仕事をする外国人や留学生にとって、住みやすい環境をつくっていきたいと思うのです。また、天津に日本の飲食センターをつくって、日本の食文化をPRしていきたいですね。そして、日本の地方都市と天津をつなぐ航空路線を開設して、活発な交流を行える下地をつくっていきたいと思います。そうすれば、自然と観光客を増やすこともできるのではないでしょうか。 賈 これからの日中友好はどのようにすすめていくべきでしょうか。 潘 ここ10年で中国はたしかに大国になりました。しかし、その背景に日本政府のODAや日本企業からの支援があったことを忘れてはいけません。中国では古くから「井戸を掘った人を忘れてはいけない」という言葉がありますが、その気持ちを本当に大切にしなければならないと思います。政治の舞台になると、今でも日本の戦争責任が話題に上ることがありますが、これを政治のカードにしてはいけまないと思います。 賈 これからも日中関係の向上のために頑張ってください。ありがとうございました。 人民中国雑誌社東京支局支局長 |
最終更新 2010年 10月 14日(木曜日) 16:22 |