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知られざる「鳩レース」市場の地域経済 打印
2011-09-16 00:00

昭和40年頃には登録鳩が400万羽と、ピークを迎えていた鳩レース。一時は鳩レースを題材にした漫画が連載されるなどして、子どもたちの間でも高い人気を誇った。そんな鳩レースは現在でも年間数千回開催されており、その周辺には鳩の飼育や飼料づくり、鳩舎経営といった具合に、ふるさとを活用できるビジネスがイッパイだ。では現在、鳩レースはどのような状況にあるのか。また、鳩レースは地域経済とどのように結びついているのか。そのあたりの動向をリポートしてみたい。

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鳩は情報通信のさきがけ

 

昭和39年の東京オリンピックで数千羽の鳩が放鳩された姿を記憶している人も多いのではないか。その東京オリンピックと相前後するように、鳩レースは日本でブームを迎えた。実際、昭和40年には足環(鳩レースの際に鳩の足に付ける識別番号付きの登録証)登録した鳩の数は400万羽と、鳩レース競技人口のピークを迎えたのだ。社団法人日本鳩レース協会(東京都台東区)事務局長の宮川幸雄さんによると「鳩レース協会員は昭和30年には3万人となり、現在は1万6000人前後でほぼ横ばい傾向だ」そうだ。また、78年に『週刊少年チャンピオン』でレース鳩を題材にした飯森広一氏の漫画『レース鳩0777(アラシ)』連載され、若年層も鳩レースに参加するようになり、競技人口の裾野が一時的に広がったこともあるという。

 

レース鳩の歴史は非常に古い。もともとは伝書鳩として文書を遠くへ運ぶというのが役割であり、情報通信の初めてのツールだった。『伝書鳩 もうひとつのIT』(文春新書)黒岩比佐子著にそのあたりの歴史は詳しいが、先の大戦で日本でも鳩は軍鳩として軍事戦略上、重要な役割を担っていた。

 

その後、鳩は新聞社や通信社で記事や写真を運ぶ通信手段としての役割を担っていた。新聞社、通信社の屋上には鳩舎があるのが当たり前の光景だったのだ。だが、電話やITの普及によって、通信手段としての役割は終わり、今ではレース鳩としての役割だけが残ったのだ。

 

なお現在、レース鳩を統括する団体としては、農林水産省管轄の社団法人日本鳩レース協会と日本伝書鳩協会のふたつがある。宮川さんによると「鳩レースに参加するには、どちらかの団体に所属して足環を鳩に装着させなければなりません。足環をしているのがレース鳩であり、それ以外はドバトということになるのだ」そうだ。

 

 

まだまだ人気を集める鳩レース

 

日本における鳩レースの競技人口はピーク時より下がったとはいえ、年間数千レース近く開催されている。レースは100、200、300、500、700、1000キロ別に分けられている。そもそも鳩の帰巣本能を生かしてレースを開催するので、レース自体は各地区ごとに開催される。鳩レースに参加する鳩舎は各地区連盟に所属し、地区連盟ごとに主催する鳩レースに参加するのだ。そのため、鳩レースには全国大会は存在しない。また、鳩レースの特徴は、スタート地点は同じでも、ゴール地点はそれぞれの参加者の鳩舎となる。もちろん、微妙にレース距離が違ってくるので、着順を競うのではなく、どれだけ速くゴールに着いたかを競う分速計算で順位を決定するのだ。

 

東京スカイツリーの近くに鳩舎を持ち、数々のレースで優勝経験がある東京中地区連盟の及川茂さんを訪ねた。及川さんは鳩レースの魅力について「飼育、訓練、レース、繁殖交配まですべてを自分の管理でやることができるのが魅力です」と話す。

 

及川さんはこれまでに『若大将号』という短距離、長距離の双方に強いレース鳩を育て、数々のレースで賞を獲得してきた。もちろん、鳩の訓練にも独特のこだわりを持っている。「鳩舎に帰還してくる鳩を竿ではらい忍耐力をつけさせます。また、与える餌にも独自の配合があります。そして、何よりも手間をかけ、鳩それぞれの資質をとらえて訓練することが結果につながるのです。奥が深い競技なので、長年趣味としてつづけてこられました」と。実際、その鳩レース愛好家ぶりは並大抵ではなく、鳩を飼うためだけに都心にビルを建てたというからビックリだ。

 

 

鳩オークション市場の意外な活況

 

日本では高齢化で競技人口が減少傾向にある鳩レースだが、欧米などでは今も盛んで、鳩レースオリンピアなるものまで開催されている。また、台湾や中国でも鳩レースは大人気。台湾ではひとつのレースで10億円以上の金が動くことがあるという。また、及川さんによると「レース中に網をかけて鳩をさらい、その身代金を要求するような事件もたくさんある」そうだ。また、今年の1月にはベルギーのオークションで中国人富豪が20万ドルでレース鳩を競り落としたという事例もある。そのほか、海外では血統に関する専門雑誌やレース情報の雑誌が何誌も創刊されている。どうやら日本と違って、レース自体に高額な賞金が賭けられていることで、多くのファンの心を掴んでいるようだ。

 

だが、日本でも鳩のオークション市場は非常に元気だ。鳩舎を営む鳩マニアは、鳩をレースで優勝させ、オークションに出品して売り、鳩レースのための費用を捻出しているという。「平均的には5万~10万円だが、なかには数百万円でオークションされる鳩もいます」と宮川さん。協会の発行している『レース鳩』という雑誌にもレース結果のほかに、誌面の3分の1が鳩舎の鳩の売買広告で埋まっている。当然ながら、血統がいいほど好まれるため、鳩を育てた鳩舎にはすぐに「買いたい」という問い合わせが殺到するという。また、なかには交配のためにベルギーやアメリカなどから優秀な血統の鳩を輸入し、交配させるファンもいるそうだ。

 

 

鳩レースによる地域経済

 

では、鳩レースにはどのような産業が関連してくるのだろうか。そのひとつが鳩舎である。鳩舎の場合、鳩の数が増えれば増えるだけ、大規模なものを用意しなければならない。しかも、鳩レース愛好家となると、1羽や2羽だけでなく、100羽以上飼うことも多いというから、かなりの規模が必要になる。だから、鳩のために専用のビルを建てたり、2階、3階建ての鳩舎を建てたりする愛好家も多いそうだ。また、鳩舎内の止り木、巣箱、移動用の放鳩籠なども必要になるが、各地にそれらをつくる専門の木工所などがあるという。

 

とはいえ、最近の住宅事情などから、鳩レース協会では委託鳩舎制度を実施しているという。これは鳩を預かり、飼育、訓練などを肩代わりしてくれる制度でのこと。八郷国際委託鳩舎と伊賀国際委託鳩舎の2カ所で、1羽当たり年間1万5000円で引き受けているという。また、鳩の餌である飼料も大きな市場をつくっている。とくに穀物、ビタミンなどを10種類、20種類と配合した既成品は愛好家にとっては必需品なのだそうだ。

 

さらに鳩医療・健康管理に関する産業にまで裾野は広がっていく。「一番お金がかかっているのは薬代やサプリメント、入浴剤かもしれません。どんなに優秀な鳩でも身体を壊したら、レースで優勝できないからです。私は日本の薬はもちろん、海外の鳩専用の薬や入浴剤を輸入したりもしています」と及川さんは話す。現在、日本では鳩専用の薬をつくるメーカーはほとんどないというから、これに目を付けてみるのもおもしろいかもしれない。そうすれば、国内のみならず、欧米や中国、台湾など輸出していくことも夢ではないだろう。ところで、日本には鳩専門の医療機関は少ないため、(社)日本鳩レース協会では「ピジョンクリニック」(03-3823-8310)や薬の販売を行う「協会ピジョンドラッグ」(03-3823-8310)を併設しているそうだ。

 

ところで、こうした産業を活性化するには、若年層の鳩レース愛好家を増やす必要がある。そこで、鳩レース協会では「幼稚園で50キロくらいの鳩レースを開催して、子どもに鳩レースの楽しさを伝える取り組みなどを行っている」そうだ。また、先日は品評会で初めて女子大生が優勝したというニュースも報じられた。こうして多くの若者たちがその鳩レースに興味を持つようになれば、鳩レース市場や関連産業はさらに元気になるはずだ。

 

 

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鳩レースの帰還率が減少

 

レースに参加した鳩の鳩舎に帰ってくる羽数を帰還率という。100キロと1000キロのレースでは100キロのレースのほうが帰還率はいい。その帰還率が全体的に年々悪くなっており、レースによっては全滅するレースも発生しているという。これは日本に特有の現象だそうだ。その原因は近年の通信・放送網の拡大で、基地局や携帯の電磁波が多くなり、鳩の方向感覚を狂わせているからだという説もある。

 

しかし、鳩レースを実際に行っている人たちによると、保護による猛禽類の増加が一番の原因ではないかという。とくに鷹は一般の人が思っているよりも多くなっており、レース中の鳩を襲うケースが増えているそうだ。このように鳩レースが自然環境の変化を察知する手立てになることもありそうだ。

  

鳩の帰巣本能

 

鳩や犬、猫など距離の離れた遠い場所から自分の巣に戻ってくる能力を帰巣本能という。イギリスの犬が150キロ離れた場所から7週間かけて帰ってきた事例があるようだが、鳩の場合は1000キロ離れた場所、あるいは2000キロ離れた場所から巣に戻ってくるという驚くべき帰巣本能を持つ。動物の帰巣本能については科学的な定説があるわけではなく、仮設があるのみである。それは五感を駆使し、頭のなかに地図をつくり出している感覚地図説太陽や月、星の位置から方位を割り出しているという天体コンパス説方位磁石と同じ働きをする物質が体内にあり、方角を探知している地磁気説などに大別される。ちなみに、鳩は太陽の位置などを確認して方位を決めているというのが一般的だ。

 

鳩レースに参加する方法

 

初心者が鳩レースをはじめるには、鳩を卵か雛の段階で飼うか、譲り受けることからはじめなければならない。ドバトを捕まえて飼うことも可能だが、おそらく帰巣本能を発揮して帰ってくることはできないだろう。

 

鳩レースに参加する鳩には管理された飼育と訓練が必要になる。また、鳩レースに参加するには(社)日本鳩レース協会か(社)日本伝書鳩協会の会員とならないといけない。さらに、鳩は足環(認識番号)を得ることによって、レース鳩として登録され、初めて鳩レースに参加することができるようになる。こうして、飼い主は自分の鳩舎のある地区の地区連盟に加入し、その地区連盟の主催する鳩レースに参加できるようになるのだ。なお、地区連盟は各県、各ブロックに組織されており、25人以上の会員で構成されている。

 

鳩愛好家被災に対する支援の輪

 

鳩愛好家の職種を見てみると、自由時間がある、鳩舎を建てる広い敷地があるといった条件から農家であるケースが多いようだ。もちろん、このたびの震災による被災地区にも鳩愛好家は数多く存在する。大津波で鳩舎を流され、家も流され、生活基盤を失った愛好家もいれば、亡くなってしまった愛好家も多い。そこで、全国の鳩愛好家が集まって、被災者のために募金活動を行っているという。また、鳩のチャリティーオークションによる支援活動も展開しているそうだ。こうした取り組みで、一日も早く被災者たちが鳩レースを楽しめるようになってほしいものである。

 


 

最后更新于 2011-11-17 16:12
 
赌博机行业能否再振东北经济 打印
2011-09-15 16:54

就如何复兴东北地区经济,各种建议汇聚而来,赌博机行业重振方案也呼之欲出。这一方案究竟能够在多大程度上振兴经济,效果究竟如何,人们正拭目以待。让我们一边看看国外的赌博机行业,再对比日本的赌博机行业,看个究竟吧。

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东京都推进赌博机行业的大发展

北地区博机行构想

构想方案是以宫城县为据点,振兴赌博游戏机行业。具体内容是,以赌博机游戏推进外国游客到访。县议会议员一致表示支持,61名议员中40名参加了该项目推进议员联盟。“国际观光产业振兴与议员联盟” (会长:古贺一成)为重振灾区建设而提案的。那么,究竟该计划会如何得以落实呢? 

博机行经济效果

06年,中国澳门特别行政区代替美国成为世界最大的赌博机游戏基地。拉斯维加斯赌博机行业总收益在66亿美元,而澳门则达到70亿。仅4亿美元之差,澳门独领风骚。澳门成功的原因在于外国资金的参入。还有就是交通的便利。 

到澳门旅游的人数2006年达到2200万人,其中1200万人来自大陆,700万人来自香港。从观光事业上的辉煌业绩看,澳门经济成长率促进了赌博机行业的大发展,二者相辅相成。前往澳门旅游的外国游客多为日本人。旅游手册《澳门・香港夜游地图2011年版》的购入者9成是日本人。当然,澳门的GDP中赌博机收益只是其中一部分。赌博机行业为当地人们的就业带来了便利。由于玩游戏机的卡只能使用一回,所以印刷这种卡的公司也不会陷入停业。与赌博行业相关的产业也为地区经济的繁荣做出着贡献。

亚赌博游戏进入高潮

当日本正在力图通过兴盛赌博行业恢复经济时,东南亚却在这方面捷足先登。 

日本Aruze Corp公司出资建设菲律宾赌博度假区、美国MGM出资建设南越南大型赌博度假区等构想,也已经出台。 

这里边有一个背景,即中国经济的高速发展。中国人出游将会为赌博行业带来新的经济增长点。日本的此次构想方案其实也主要针对的是中国游客。人们很关心,针对海外游客,赌博行业的发展契机究竟在哪里,量体裁衣以适用中国游客称为新的课题。仅放置几台“老虎机、轮盘”是没有什么新特点的。丁半博打、花牌以及江户时代的赌博相扑等属于日本独特的赌博游戏,这些应该更有吸引力。花牌属于东洋玩法,外国人对此比较感兴趣,可以算作一种土特产。日本一些有识之士认为应该大力宣传这种赌博游戏。也有人提议活用动画制作的电脑游戏以及“太空侵略者”游戏、FC游戏等制作新的赌博游戏机。日本的娱乐活动很多,赛马、自行车比赛、赛艇、弹球机等都很知名,应积极用这些固有资源开发新型赌博机游戏种类以重振日本经济。

博机游能成特效药吗

通过进行相关法律的修订,调和反对人士和当地居民之间的关系,再加上与邻国之间的竞争,在灾区进行这种赌博机游戏的重振究竟能都起到预期效果呢?国际赌博机游戏研究所所长表示,“过去十年,赌博机行业开始步入合法领域,但地震发生后,又陷入绝境。”宫城县议会中以前多数人是赞成的,9月的选举,不知道情况会如何,不知道力主强化赌博机行业的人士是否会再次当选。这一构想的实施,还需要进一步调查民意。最近,名取市东部震灾复兴会等市民团体向议会进行了提议,但结果如何不得而知。仙台国际机场也被作为了候补地区,但是当地民众是否接受还不清楚。木曾强调,开发赌博游乐设施后,经济效果会非常明显,观光产业将会创收1000-2000亿日元,饭馆、商店、特产店的营业也就会兴盛起来,同时也会带来工作机会。人们关心的是赌博机行业如何才能真正振兴起来,大家关注到,政局不稳是导致这个产业难以振兴的根本原因。经常变更的政权也是导致关于赌博机行业的相关立法无法真正指定和落实。大家希望国民们一起能够讨论这个事情。但是也有声音表示,希望应该先赶快制造这些赌博机。 

特别是一旦开业,会吸引中国、韩国、俄罗斯、蒙古、日本各地区的游客,这样也会带动宾馆业务的发展。当然也有反对的声音,认为这样一来,会陷入与澳门、东南亚、韩国、拉斯维加斯之间的竞争。其实,韩国也在为是否将赌博机业务合法化进行着讨论。  

赌博机业务与复兴 

赌博机业务主要应在东北亚为舞台进行展开,以此为据点确立观光事业。应该在东北地区进行试点实验。目前只有宫城县在展开赌博机业务,应该继续在岩手县、福岛县进行这种业务的展开。木曾认为,“三县都要进行这种业务,这需要进行审慎对待。首先应该进行分析,对于今后的重建工作进行分布实施,突然之间就进行这种新业务反而给人造成反感心理。好好运营的话,会为当地的雇佣带来效果。”东京都地方自治体赌博机行业研究会制作了宣传单,上面印着“推进赌博机行业向前发展”,副标题是“赌博机行业是综合娱乐业”。赌博机行业已经在世界110个国家进行着业务展开,但是包括美国、英国、法国等8个先进国在内的国家只有日本没有赌博机行业。每年到访拉斯维加斯的游客达到3500万人,到访韩国进行赌博机游玩的人数每年在70万人左右,其中65万人是日本人。报纸上都说,赌博机行业为经济成长带来了正指数,它不仅促进着经济发展,也为当地雇佣做出了贡献。据平成14年10月东京都都市型观光资源调查研究室调查显示,拥有1000个客房的赌博机游戏专用游客宾馆两座,可以容纳3000人住宿的宾馆1栋,每年可以吸引游客350万人,促进生产2200亿日元,可为1万4000人提供就业机会。当然,这还需要进行相应的法律整备。当然也有人利用网络宣传赌博机游戏,国外这种情况很普遍,但是日本不允许。在日本,彩票行业、赛艇、自行车比赛等都需要特别法律的设定,为此,东京、神奈川、静冈县、大阪、和歌山、宫崎等地方自治体的赌博机研究会都对日本政府发出建议,希望进行相关法律的整备。主要是因为给人们的印象是纯粹的赌博,使得这个行业处于萎缩状态。具体来说,需要整备监视体系、警备体系、赌博游戏从事者的资格审查以及对入场人员的限制,这需要花费相当长的时间。另外,木曾认为,赌博机行业是一把双刃剑,虽然可以带来经济效果,但是也会带来负面效应,诸如犯罪、依存症、青少年教育等方面的问题。需要冷静讨论。赌博机行业也许只是灾区重建工作的其中一剂药。如果赌博机行业投产后,这会为观光业、雇佣以及市场活性化带来福音。同时,还可有效获取外币。

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阿拉斯加的赌博机行业

东日本大地震复兴

政治、核电站问题的动向

菅首相在任期间,日本政治也陷入“炉心熔融”状态。时事通信社在7月7日至10日实施了一项调查,调查显示,菅首相支持率比上个月下降了9・4%,滑落到12・5%,不支持率为71・2%。人们对菅首相表示了非常大的不信任。围绕玄海核电站的再运转以及政府内部的混乱局面等,阁僚内部开始有人进行质疑,并要求首相下台。 

东日本大地震后,前复兴担当相松本龙在上任9天后就被迫辞职。海江田经济产业相的辞职又是乱上添乱。目前,灾区居民希望有一个强有力的政治家帮助他们渡过难关。

福岛核电站事故收拾事态之第二个步骤 

另一方面,福岛第一核电站的状况依旧不能大意。福岛第一核电站事故发生后,3个原子炉都发生炉心熔融,一部分燃料又泄露出来,堪称世界上罕见的核电站事故。日本政府在7月19日宣称,已经基本达成第一个目标,即对原子炉实施安定状态下的冷却降温。这之后的重大课题就是花费数十年进行废炉。 

东京电力和内阁府原子能委员会等公布了中长期废炉工程方案。最快也得三年才能把燃料从燃料池中取出来。回收全部熔融的核燃料则需要10年。原子炉的解体废炉则需要数十年。通常情况下,从核电站取出来的使用过的核燃料要先运送到青森县六个处置场所,进行再处理,但是没有可以用来回收受损核燃料的设备。今后需要开发将核燃料取出来的设备,但即便取出来,如何保管也是个问题。一个国家的技术是难以办到的,还需要海外各国的协助。

循环冷却、运转的金钥匙

第一步是安定冷却炉心,原来使用的冷却方法是“灌水”,现在使用的方式是“循环注水冷却系统”。6月27日开始实施运转,但是不断出现系统故障和操作失误等情况。东京电力7月20日表示,循环注水冷却方法效果有限,在7月13日到19日之间,运转效率只有53・7。据说是因为漏税造成装置停止运转。7月的运转效果达到70%,8月达到90%,但是距离全面改善还有距离。

3号机组注入氮气

为了避免3号机组发生氢气爆炸,东京电力于7月14日开始注入氮气。为了以防万一,日本政府解除“紧急避难区域”,使民众可以随时进行避难。

1号机组建筑物防护罩工程的启动

东京电力公司6月末开始就在1号机组上披盖这种防护罩(纵42米、横47米、高54米)。750顿的资财也被陆续运到此地,预计9月末完工。

太阳光成本是火力发电的3倍

核电站事故后,人们开始热衷于讨论太阳能发电,而针对如何调整太阳能发电以及电力公司之间的关系,岐阜县正在讨论。太阳能发电的成本是火力发电的3倍。而且电力的供应也并不稳定。如何确保能源,人们拭目以待。为此,孙正义社长和35个都道府县为通过太阳能发电法案,设立了自然能源协议会。

岐阜县没有派人参加这一协议会,他们认为,这个计划的实施承担着巨大的风险。该县预计,到2030年,如果面向1000万户进行太阳能发电,那么需要花费的成本在12兆日元左右,这些费用最终需要由国民负担,而如果使用天然煤气的话,则需要花费4兆日元。 

如果再考虑到孙正义这个协议会今后所需要的资金,那么负担将会更加重。不过,日本政府将废止电力公司买断太阳能发电业的制度,实际资金预算将有可能与设想有所不同。

日本各地的赌博机行业构想

冲绳 

冲绳目前陷于经济及财政困境,基地建设问题也是大难题。不过这个地方是很多中国有钱人喜欢来的地方。这个地方目前正在制定计划,希望吸引1000万游客,观光收入达到1兆日元。为此,他们将大力推进国际观光制度的完善,实施环境观光型整备,设置免税店。

台场 

石原慎太郎早在99年就呼吁在台场建设赌博机行业基地。预计,顺利的话,这个地方的营业额每年将达到6000亿日元到1兆日元。这样一来,可以征收1500亿日元到2500亿日元作为税收。2000年,东京都公布了一份计划,名为《东京临海地区未来展望----东京Bay Area21》,其中提到通过完善观光、购物措施,以及在欧美都作为观光资源的赌博机行业,建设魅力四射的东京。 

大阪赌博机行业构想

15家民间企业创设了大阪都市构想研究会,力争以大阪湾为中心建设赌博机基地。桥下彻府知事表示,投资1500亿日元,增加国民税收,把外国富裕层的人都卷进来。真可谓,摩拳擦掌,跃跃欲试。

最后更新于 2012-06-18 11:14
 
重新打造地区经济 打印
2011-08-19 10:51

盛夏时节,灾区的复兴工作正在继续如火如荼地展开之中。我们将继续秉承前一期的报道主旨,继续对东日本大地震后的全貌做一个梳理。在酷暑中,我们和灾区的联系始终没有中断。

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从废墟中生长出的八角金盘的叶子。即使在震灾之后也如同什么都未发生似的生长着。

围绕脱离对核电站的依赖,人们在行动之中

我们先来看看东京电力福岛第一核电站事故后的情况。地震后到今天已经超过100天了,核电站还在泄漏辐射能,事故的完全解决还未明了。循环冷却注水作业也不断出现故障。夏天,从事作业的人员也处于身心疲惫的状态。福岛核电站事故的余波还在不断的在全世界扩散中,各国都在积极就能源问题进行新的讨论。 

国际原子能机构(IAEA)的阁僚级别会议在维也纳召开,6月24日闭会了,议长表示,在海啸、地震发生之际,如何确保核电站的安全问题应进行进一步讨论。会议还要求加盟国家对自己国家的核电站安全进行评估并汇报。现在全世界有440处核电站,还有80个处于建设之中。新兴国家也在核电站建设方面投入越来越多的力量,对此都要进行重新评估。 

福岛核电站事故后,许多国家开始重新审议核电站问题,不论是留还是不留核电站,确保核电站不出问题成为了最优先课题。日本国福岛核电站事故对于各国造成的影响是很大的,日本今后的课题也很大。

再生能源的应用 

核电站事故后,人们开始越来越关注再生资源、自然资源。自然能源的利用还是比较不容易的。比如,2001年,北海道纹别郡部镇开始投资1亿9000万日元建设风车,结果到了2010年10月份就停止了。理由是收取费用都用于返还镇的债务,没有盈利的余地。而且修理费也没有。 

太阳能发电业也有很多很多的课题,比如说要保障100万千瓦的发电能力的话,只要有0・5平方公里的核电站就可以了,而太阳能发电则需要58万平方公里。这个面积和山手线电车内侧的面积相同。 

总之,脱离对于核电站的依赖需要制定中长期的计划。

发电供电分离后电费下降? 

考虑到今后的能源问题,我们觉得发电和供电分离是否可取需要慎重考虑。虽然枝野幸男官房长官在5月16日的会晤中表示两者分离可取,但是电力业界的人士认为,电力的安定供应在经济方面,能源安全保障方面举足轻重,不宜在环节上作出变更。发电供电的分离是指,将电力公司从供电部门中分离出来,发电公司之间进行竞争,这样一来就会使电费下降。 

太阳能发电、风力发电、低热发电等方式正好也吻合了政府的地区温暖化对策,因此反而比较容易进行下去。 

发送电分离不仅可以结束电力公司地区垄断局面,引进竞争机制,同时还可以促进再生能源再利用的基础建设。

舆论损失走向何方 

核电站事故引发的舆论所造成的损失情况究竟如何呢?东北著名媒体《河北新报》报道称,福岛的蔬菜外输的限制除了核电站周边以外全部解除,福岛县产的蔬菜声誉不仅受到地震、海啸的影响,还受到核电站危机、舆论的影响。福岛县3月下旬的农业产品的销售成绩比往年下降很多,其中黄瓜下降32%,西红柿下降48%,芦笋下降49%。 

此后,蔬菜中的放射性物质逐渐下降到暂定基准值以下,甚至出现了检测不出的情况,于是外销禁令解除。5月下旬的销售实绩为:黄瓜111%,西红柿87%。 

但是,小规模农家的经营形式依然严峻。县消费者协会的佐藤一夫事务局长指出,应该尽快确立相应的测试系统,将农家种植的农作物的情况准确真实地反馈给民众,以消除误解。 

复兴基本法终于成立 

在这样的情况下,6月20日成立了复兴基本法。基本方针如下: 

一、发行复兴债券

二、创设复兴特区

三、在内阁设置复兴对策本部,设置复兴担当相

四、设置复兴构想会议

五、设置有识之士机构

六、设置复兴厅 

现在的问题是偿还财政的问题。日本政府希望通过消费税和所得税的征集来填补空白。可是另一方面,税收和社会保障也面临改革。2015年需要42兆日元的财源。假设增税1%,即2・7兆日元的话,最低也需要确保5%的增税。这样的话,需要把现在5%的消费税提高到10%。增税究竟会对日本经济造成怎样的影响呢?谁也说不清。有些人认为,国债的发行和增税将会带来新的问题。

当然,为了实现灾区的重建工作,必须早日设置复兴厅。复兴厅应该在其中承担重要角色。大家认为,复兴厅的本部不应该设置在霞关,而是应该设置在仙台等东北灾区的都市。这样一来,还可以积极利用东北大学等地方大学提供的研究资源。这样一来,才能针对具体问题拿出具体的解决方案来。

LED电灯引人注目 

面对灾难带来的负面效应,新的商机正在出现。比如,节电效能非常好的LED电灯就是其中之一。它比通常的电灯节电5分之一。价格在2000日元左右,普及起来比较困难,但是在首都圈内,人们的节电意识很高,还是有很多客户选择购买的。

 

カカクコム公司在4月举行了一次节电相关的意识调查,结果发现,东日本大地震发生前,人们的节电意识就已经有了,回答者占71.5%,震灾后更高了,占97.2。 

在问及节电意识带来的消费倾向上,结果显示,震灾前,人们选择购买电视的比率占据41・9%,选择购买LED电灯的占27・7%,但是在地震后,选择购买LED电灯的占据26・8%,选择购买电视机的顾客在11・9%。整体上,许多电器制品的消费情况有所下降,但是LED电灯的消费情况依然看好。 

另外,据ジーエフケーマーケティングサービスジャパン公司调查,2011年5月第4周电灯市场的消费比率情况如下:LED电灯为42・9%,白热灯泡为39%,荧光管占据18・7%。LED电灯销售个数比去年增加了2・9倍。关东地区、甲信越地区的需求尤其高。4月份第二周LED电灯销售数量比去年增加181・2%,2009年销售价格为7000~8000日元,现在呈现下降趋势。还出现了一个1000日元的产品。 

汽车、电动自行车人气十足 

大地震当天,许多人徒步回家,也有人在公司过夜,不过当天能够顺利回家的是那些平时就骑自行车上班的人。地震当天,购买自行车回家的人很多,站前自行车车铺的自行车销售一空。此外,加上汽油供应不足等问题的出现,许多人也开始购买自行车作为上班的工具。 

据自行车产业振兴协会2011年3月的调查显示,平均一家自行车店铺销售的自行车为39辆,比上个月增加了165・3%。千叶县的一家自行车店铺表示,3月11日,许多店铺的自行车销售一空,3月14日当店的自行车也开始变得人气起来,此外,还有修理自行车的情况出现,销售额大幅增加。 

ジーエフケー・ライフスタイルトラッキング・ジャパン公司还公布了4月份电动自行车销售的情况。数据显示,3月份第三周的销售数量为1月份第二周的2・8倍。之后,销售量虽然一度呈现下降趋势,但是马上又回升。许多人原本开车接送孩子,后来开始逐渐使用电动自行车接送,也就是说,东日本大地震后,孩子们进行新学期,自行车的销售又开始回升。

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垃圾处理形式依旧严峻

 

 

点燃复兴之火 牡蛎养殖业森林是大海的恋人

关键人物:畠山重篤先生(NPO森林是大海的恋人法人代表)

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一边从事渔业,一边致力于植树造林活动,畠山重笃的故事传遍了大江南北。不仅在日本,海外对其评价也非常高。就气仙沼现状和未来,这位传奇人物是如何看待的呢?我们采访了他。

 

牡蛎养殖业陷入毁灭状态

位于宫城县气仙沼湾和其北边的唐桑半岛之间的舞根湾盛产牡蛎和扇贝,从气仙沼车站下来坐车30分钟就可以看到被绿色环绕着的入河口。驱车驶入舞根地区,便可以看到波光粼粼的大海,映衬着太阳的光辉,静谧而神奇。可是现在,这里到处是瓦砾堆,这一地区52户人家中有44户被海啸所毁灭。 

我们看见一个渔业从事人员乘着小船冲向海浪,港湾中央,清除垃圾的船只正在进行清理作业,这位渔业从事者指着一棵10米高的大树说:“看,那边是玻璃浮标,10米以上的海啸过来后将其冲到上边了。” 

这位渔业从事者名叫畠山重笃,他胡须斑白,从事牡蛎养殖业已经50年了。他是“森林是大海的恋人”组织的代表,在室根山从事植树活动。 

他的住宅因为在大山高处,所以幸免被毁,但是其经营的养殖设施全部被毁灭。气仙沼福利院被毁,母亲也遇难了。该组织的副理事长,即他的儿子的家宅也被冲毁,事务局也没有了,会员名册也没了。畠山重笃表示,必须首先清除瓦砾,还有注意水质的变化,分析海水成分,这都需要时间。 

 

森林是大海的恋人的诞生 

畠山重笃和许多研究人员在自己家中聚会,大家商议如何重振养殖业。大家都出了很多主意。刚才还在凝视大海的畠山重笃开始谈自己的想法:“延安好的渔场大多在河口,有明海之所以有很多海苔,是因为有像筑后川那样的大河。养分从大山处通过河川流入这里。只是靠盐水是不能养育的。这些都是不言而喻的,可是管理山川河海的都是林业厅、国土交通省、水产厅、县政府,他们不懂这些。 

1962年从气仙沼水产高中毕业的畠山重笃从父亲那里继承了牡蛎的养殖业,可是到了70年代,这里出现了大量浮游生物,牡蛎全都变成了红色,变成了“红牡蛎”,每人再买。这都是因为过量使用衫山、农药、除草剂、化学肥料的缘故。农业家畜废水、家庭废水、水产加工厂的废水都源源不断地汇入这里,造成了恶果。后来,在距离舞根湾大川河口处8公里地方,又开始建设大坝。 

畠山重笃为了避免环境进一步恶化,于1989年成立“森林是海洋的恋人”这一组织,开始在室根山种植山毛榉和橡树。有经验的渔业从事者明白,森林对于海洋水产业的重要性。

北海道大学名誉教授松永胜彦(四日市大学环境情报学部教授)在气仙沼湾进行了科学实证。通过调查显示,90%的生物都是依靠了大河所运输的养料。就这样,运动在全国展开,大坝的计划也中止了。可以说,河流和海洋的联结结出了丰硕的果实。20年以前的植林地区现在已经成长为牡蛎的森林。 

 

黑龙江流域为日本渔场的兴盛提供了保障 

所谓海洋生态,就是指随着浮游植物和海藻的增多,浮游动物也开始增多,鱼也开始增多这样一个食物连锁反应的出现。浮游植物和海藻生长所需的营养主要来自于光合作用。担任光合作用的主力军是叶绿素,而叶绿素的生成则需要铁分的供养。植物生长所需要的氮元素以及磷元素等养分也是从海洋里来,这些元素的形成也离不开铁分。 

铁分在粒子状态下是不能通过植物的细胞膜,那么,浮游植物容易吸收的铁分从哪里来呢?这个源头就是森林。森林的腐叶土中含有丰富的有机酸,它们与土中的铁粉结合成有机酸铁,然后随着河流进入海洋,向浮游植物和海藻供应铁分。 

森林滋养海洋的结论是由日本、俄罗斯、中国共同成立的综合地球环境学研究所共同研究的成果,他们从2005年到09年进行这一研究,取得了丰硕的成果。研究结果显示,鄂霍次克海之所以能够滋养号称三大渔场的三陆冲的渔业生产,主要是得益于黑龙江流域向其提供了大量铁分的结果。 

黑龙江流域源自位于蒙古高原东部的俄罗斯和中国交界处的石勒喀河与额尔古纳河合流点,中游横跨中国黑龙江省及俄罗斯远东地区。俄罗斯哈巴罗夫斯克附近,河流转向东北方向,进入俄罗斯,然后注入鄂霍次克海。 

在中国被称为黑河、黑水,全长4444公里,长度上看,位于世界第8位。流域面积达205万1500平方公里,世界第10位,大约是日本国土面积的5.4倍。森林的营养成分伴随着河流流向许多渔场,为这里带来了丰饶。在黑龙江流域,广大的湿地和森林源源不断地向海水中注入铁分。鄂霍次克海中的海水盐分变得浓厚起来。铁分伴随着海水从北流向三陆冲。黑龙江流域的生态环境为鄂霍次克海和三陆冲带来了福气。 

山川河流域以及海洋之间的默契关系,是支撑渔场发展的关键因素。不过,畠山先生认为,林学研究和水产学研究属于不同领域,从学问的角度看,不能这样机械地予以认同,否则认识无法深入进行。 

 

木材加工技术是复兴的金钥匙 

震灾之后,对于气仙沼市生活方面的支援不是很顺畅,各地方团体以及个人开始了积极的富有建树的支援。唐桑志愿者团体就此(http://karakuwa.net/)诞生。参加这个团体的组织有“森海一体”、 RQ市民灾害救援中心、FIWC唐桑集体、公益社团法人国际志愿者大会(SVA)、气仙沼志愿者圣经会、とちぎ志愿者协会、天理教灾害救援队等七个团体。他们之间定期进行讯息交换,进行着有效的救援活动。比如说,大家发现气仙沼的大部分产业都已经萎缩和消失,雇佣问题也陷入紧迫之际,于是就提出,进行灾区旅游、NPO派遣事物职员等建议。 

就在这个时候,群马县来了一个人,他持有一项技术,这个技术可以对木材进行热处理,可以安定木材的品质,这个技术也叫做EDS技术。EDS研究所的经理石井幸男表示,运用这项技术,可以保证采掘木材的质量。就是因为使用这项技术,就可以提高木材的利用率达到50%到80%。畠山等人考虑,用这种技术加工杉树,以保障住宅建设的进度,并提升雇佣机会。

 

海洋的力量无尽 

海啸发生后,畠山先生表示,养殖业已经走到了尽头。不过一个月后,有不少小雨开始回游。畠山认为,这是因为森林和海洋之间的紧密关系,使得铁分迅速得以滋养这里,牡蛎的繁殖开始重新焕发生机。 

曾一度陷入危机的植树节也开始重新开始,一关市室根镇第12区的民众又开始推动这项活动的展开了。当时有1200人参加了这次活动,畠山希望和大家有一天一起在这里开个牡蛎大会,一起吃牡蛎。

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舞根湾开始进行瓦砾清理作业

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畠山信拾得瓦砾进行烧火,在没有水电煤气的情况下,用这种方式烧烤芋头,过自给自足的生活,挺过来了。




决心坚持到最后一个人为止 石卷高中练习室避难所负责人

关键人物:高桥信行先生(东日本大地震创生NPO中心代表)

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避难生活依旧严峻,但是大家都在力争向前看,高桥信行曾经参加在阪神地震、淡路地震后予以过支援活动的进行,富有经验,现在又开始在气仙沼地区进行支援。他的活动极大地援助了石卷高中。

帮助孩子们克服困难 

到5月末为止,已有100以上的难民在宫城县石卷市的石卷高中生活。在这里,还可以看见孩子们在用纸箱子隔开的小房间里进行玩耍。 

高桥信行是这里的管理者,他认为孩子非常重要,要帮助他们适应这里。大家要求人们在各方面帮助孩子适应这里的生活。 

这里的熄灯时间很早,晚上9点灯就熄灭了。孩子们互相说着“晚安”,然后就开始睡觉去了。生活变得很有规律起来。

早晨起床时间是6点,高桥信行开始指挥大家做早会,他对那些不希望上学的孩子们说,你们可以歇息,不去上学也罢。

 

设立雇佣支援NPO组织

高桥信行也是NPO法人宫城县地球温暖化防止活动推进组织NetPAGW)的事物局干事,他也是产业机构东北之所的顾问。3月11日,他前往石卷市访问,没能回到气仙沼。之后一直在石卷高校指挥避难生活。他认为这是上天给予自己的使命。 

高桥信行曾经参加在阪神地震、淡路地震后予以过支援活动的进行,富有经验。他认为,如果要进行志愿者活动的话,应该保持持续的奋战精神。如果大家能够定期来到这里进行志愿者活动的话比较好。高桥信行提到一个问题,就是虽然有志愿者参加,但是没有人接应。有很多灾民甚至流露出绝望,在他们看来,没有人关心自己,感到很无力,还不如死掉。高桥想,自己一定要送走最后一批难民。

于是,高桥先生开始展开活动,推进灾区居民的就业形势的好转。他组织了“东日本大地震创生NPO中心”,已经招募到20人。他们召集灾民一起进行清理垃圾的作业,以此提供就业机会。作业过程中,大家带着防尘口罩,劳动时间为4个小时。这还不能提供真正意义上的就业机会。6月末,面向石卷高中的自卫队的粮食支援也结束了,开始配送盒饭。志愿者们也不再帮助做饭。高桥向市政府要求提供自我做饭的工具和场所,但是没有得到相应。这样怎么行呢?高桥希望早日解决大家的吃饭问题。

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早上6点、在石卷高中训练室避难所进行早会的高桥先生

最后更新于 2012-06-18 11:14
 
起死回生 实现复兴 打印
2011-07-01 13:56

东日本大震灾以后,每天新闻媒体在不断地报道灾区情况。特别是福岛第一核电站事故的报道造成了更大程度的影响。最近,生物浓缩问题也在不断引入人们的视线。也就是说,生物体内取出的化学物质存在浓度较高的情况。这样一来,人们开始担心太平洋沿岸的鱼也遭到了辐射污染,担心吃了这些鱼会影响健康。当然也有人认为,碘和铯都属于水溶性辐射物质,进入体内立即会被新陈代谢一空。不管怎么说,对于这些看不见的物质,很难做出明确解释。另外,针对核电站问题,智慧电网和再生能源的开发也正在引起人们的关注,大家正在予以讨论。这些都与新产业的创出息息相关,受到很大程度的欢迎。我们先关注一下震灾后的经济动向和日本政府的政策。

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震灾导致雇佣减少

日本厚生劳动省5月25日发表了震灾后的雇佣状况报告。报告显示,岩手、宫城、福岛三县就职商谈所的职业商谈件数达到了30万1827件。离职票的交付件数达到11万1573件。比去年同期(4万6818件)增加了2.4倍,电力不足造成的生产力低下已经影响到了雇佣现状。另外,饮食店的营业时间不得不缩短,很多工厂工人处于休业状态。经济学人、第一生命经济研究所的永浜利广主席进行的试算显示,东京电力公司和东北电力公司的供给不足率比去年减少3.6,这样一来就业人数减少了12万人。这样的现状也影响着迎接大学毕业生的就职。今年春天毕业的大学生的就业率非常低。

核电站问题使得人们开始关注自然能源

Softbank公司和北海道、神奈川、广岛等19个都县曾在5月25日宣布,将在7月上旬设立自然能源协议会。当时,softbank总裁孙正义表示,将在2020年为止大幅度提高自然能源所占的比率。这就需要对再生能源进行开发,接续网络,缓和耕地利用规制。日本首相菅直人表示,希望将自然发电能源所占日本全体电力比率有所提高,他表示,希望到2020年采取技术革新措施大力提高这一比率,力争达到20精。北海道稚内市就是采取的这种措施取得了成功。该市风力充足,利用风力和太阳能发电是其特征,这些电力达到了85精。宗谷岬风力发电所发电量为57基,全市发电量为7万6355千瓦。该市2006年开始就开始研究利用太阳能发电,取得了长足成果。目前,它们利用太阳能发电达到5020千瓦。

铁路遭受严重损坏

日本国土交通省5月20日曾报道称,东日本大震灾造成铁路系统严重损害,5家铁路公司12条线路毁坏。特别是溺湾海岸沿线的提了遭受到的海啸袭击更大。比如岩手县第三区、三陆铁道的复旧工作预计需要180亿日元。三陆铁道和宫城县的仙台机场铁道公司希望日本国土交通省予以援助。国土交通省表示将在今后的预算中加入这个项目,并将事先进行调查。我们今天介绍一下灾区的复兴现状。

海港鲜鱼店

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いわき市四仓町经营了三代的鲜鱼店大川鱼店也遭受了损失。该店铺距离四仓海岸有500米,海啸袭击了这里,这里的商品都被毁坏。之后,离此地35公里的福岛第一核电站事故发生,该家族自主避难,3月20日后店铺再次开始营业。由于物资不足,销售的商品非常有限。在木板上贴上“营业中”的宣传纸后,开始销售一些干物和罐头什么的。储存在冰箱的商品还送到了附近的避难所。目前,店铺的一半用于营业活动,另一半尚待重新装修。这里摆放着自家制造的干物以及鱼罐头什么的,这里还有松鱼生鱼片。震灾前,这里还有各种海鲜产品,但是现在都不具备。第三代店长大川胜正表示,当地人喜欢吃鱼,虽然地震后大家的生活很不好,但是大家还是希望到这里买到鱼。我们只能力所能及的出售一些商品。该店从2003年开始通过网络进行销售,曾经销售过自己开发的“七浜泡菜”。鱼卵泡菜非常有名,味道很好。大家都希望早日恢复景气,希望届时人们一边品尝这里的美味,一边欣赏美丽的海滨景色。

大川鱼店

10246・32・2916

http://www.ookawauoten.co.jp/

独自开发

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いわき市的鱼糕产量日本第一。但是海啸给这里的生产带来了很大的打击。这里有专门销售这种鱼糕点心的店铺。这里的店铺虽然没有直接遭受到海啸的袭击,但是停电、停水使店铺不得不处于停业状态。地震后1个月后的4月23日终于营业再开。这期间,店铺把冰箱里的库存都免费分发给了顾客和避难所。该鱼糕能够直接食用,赢得了好评。原材料由于得不到供应,一度陷入困境。不过这时候,大家一致表示,我们还有加工作坊,还有机器,我们可以继续生产。于是店铺决心再开。店铺中放置的记事簿上,客人们写下了许多留言,感人肺腑,给了大家莫大的心理慰藉。由于近邻观光设施遭受到了海啸袭击,再加上媒体报道的影响,观光的游客骤然减少。专务远藤贵司表示,我们将通过网络进行宣传,不断更新新的情报。由于鱼糕独特的口感,加上精致的包装,每天都有许多客人通过电话进行预约订购。

店铺联系方式

10246・39・3360

http://www.kaneman.net/

咖啡豆重振地区经济

销售咖啡豆的店铺门口贴着醒目的标语----加油!いわき!振兴家园!

震灾的影响下,地区经济陷入不景气状态,雇用状况也不容乐观。店主箭内正孝表示,希望通过自家制作的咖啡豆重振地区经济。该店销售的咖啡豆都是巴西和哥伦比亚的名物,风味独特,口感好。该店在地震后的3月15日营业再开。水道修复作业当月月末才复通,但是因为供电尚好,没有影响咖啡豆的制作,店内总是充盈着咖啡的香气。运营再开后,客人络绎不绝,夜晚这里的灯光也显得柔和。该店铺还在网上进行销售。

ヤナイ咖啡

10246・28・9696

http://www.yanai-coffee.net/

通过博客发布复兴信息

东日本大地震后,いわき市的宝石水族馆也处于停业状态。虽然水族馆本身没有遭到什么损伤(一部分水槽和玻璃破损),但是地震造成了地基下沉,还出现了液状化现象。此外,上下水管管道、供电设备、水泵设备、预备饲养设施「水生物保全中心」也受到损伤。另外,20万点生物中,9成死亡或失踪。饲养员们表示感觉很伤感。该馆和别的水族馆、动物园积极取得联系,得到支援,大家齐心协力把馆内设施进行了清理,重新打扫。其它县的水族馆(新泻水族馆、八景岛等)也会有专人前来帮助。这些都可以在该馆的博客上看到。再开的目标是7月15日,这一天也是该馆对外开放的日子。馆员们表示,目前有许多人给我们寄信,表达了支持的心情,其中还有很多人给我们邮寄款项,我们一定努力报答大家。

宝石水族馆

10246・73・2525

http://www.marine.fks.ed.jp/

海啸袭卷了酱油老店铺 职员们意图复兴产业

岩手县陆前高田市在海啸后失去了行政机能。八木泽商店的酱油制造历史可以追溯到200年前。一直以来,这里的生意非常好。海啸无情地袭击了这里,但是,该店的职员们正在摩拳擦掌意图恢复往日的声威。我们为此采访了该店的会长河野和义,就酱油生产和复兴问了一些问题。

您为何从事酱油生产呢?

河野 日本的酱油色香味俱全。充分发酵制做法是日本的一种酱油文化。使用当地的大豆,再用两年进行制造,那样的话,一瓶就需要3000日元的成本。该店铺仍然坚持按照以前的制作传统进行制作,温度、时间、火候都掌握得很好,自然生产出来的酱油也是与众不同的。同时,与大的酱油生产企业进行竞争,这种独自的制作方法也会为店铺带来竞争力。

绝对不裁人

这次你们的店铺遭受到了怎样的损失了呢?

 

河野 具有200年历史的工厂就这样被海啸卷走了。43名社员之中,25人的家都被冲走了。研修生也死了好多。我的家也被冲走了。地震那天,我正在东京出差。我在东京看到电视上的报道,发现店铺和车都被海啸卷走了。4天后,我回来了,大家都说,社长,大家都希望重振企业。

后来呢?

河野 后来我们在竹驹町的高田驾校设置了临时事务所,物资都通过此处转运到避难所。很幸运的是,有两台公司的车没有被冲走,我们使用这两部车和送迎公共汽车运送这些物资。我们都鼓这一鼓劲,希望把这具有200年历史的制造工艺传承下去。看到这些兢兢业业的职员,我下定决心,决不解雇他们。当时,周围的公司都在破产或者裁员。我的职员中,不少人都失去了丈夫、孩子、祖父母,4月1日那天,我召集大家,我把工资现金发给了大家,我说,我发晚了,请原谅。社员们都很高兴,鼓起掌来。后来,我把社长的位置移交给了儿子,他是第9代社长。物资输送坚持到了4月11日,12日开始清理垃圾,开始重建任务。

重建家园

今后,您将如何重振企业呢?

河野 陆前高田的中心部分,包括市政府都已经丧失了运转机能。我决心和市民们一起投身重建家园,重建企业。我们需要把陆前高田市看作是特区,就像建设一个小国家一样去建设它。陆前高田是比较知名的地方,明治神宫就是由这里的木匠们建造的。这些人可以在高地建设公营住宅。我们还将在陆前高田、南三陆、大槌町、山田町等地举行活动,进行宣传。我们将制订复兴计划,由专家审核。我们将邀请世界各地的审查人员,对我们的重建工作予以指导和关注。我们也希望把当地的观光业振兴起来。我还有一个梦想,就是创造一个国际防灾大学,我们培养的人才将在灾害到来时不依靠市政府也能进行积极应对。我也想把避难所的沉闷空气打破。目前,医生不足,护士不足,我们想培育具有专业素质的医疗人才。我还和民俗研究家结城登美雄以及熊本县水俣市的吉本哲郎一起提倡有效活用地区资源的“当地学”的研究。我们将请水俣市中患水俣病的人献身说法,讲述患病的情况,希望传承给后代一份医学知识。我希望地震带给我们的启发也被人们所牢记。

 

八木泽商店

http://www.yagisawa-s.co.jp/

 

地方报纸和现代美术家将激情“投递”到灾区

宫城县石卷市有近3万6000人受灾,占居民人数的6成。严酷的避难生活,给这里的灾民带来了不便。有很多人投入到了援助的大军中。

 

混乱之中发行壁

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《石卷日日新闻》(石卷市双叶町)是专门报道行政和生活讯息的地方报纸,地震后的海啸袭击了这里,这里也浸水了。记者们克服了困难,6天之中每天都发行壁报,度过了   危机。华盛顿邮报的记者注意到这个情况,在华盛顿邮报报道了这个消息。壁报现在在美国华盛顿新闻博物馆和神奈川县横滨市新闻博物馆展出。3月11日,石卷日日新闻报导记者在当天的新闻发行结束后开始吃午饭,午饭后然后去2楼休息,准备三点开会。就在这个时候地震发生了。报道部长武内宏之说,当时晃了三分钟,感觉时间很长。海啸从南海和东边的北上川两个方向袭来。市内死者和失踪者达到5800人以上,6万户受灾。石卷日日新闻报导说,门口的大型卡车阻挡住了海啸的势头,社内浸水一寸多。武内说,我们看了一下楼下的报纸印刷机,彩色印刷机都浸水了,当时机器不能运作。地震后,供电停止,报道和组版作业用的电脑都不能使用了。许多人都放弃出报了。社长近江弘一说,我们有纸笔,报纸照出。第二天到供电恢复的17日为止的6天,石卷日日新闻开始出壁报。社长用油性笔在报纸专用纸张上写报道。然后由社员按照这个样本做报。报纸最开始张贴在山上的中学和高中中设置的避难所中,也张贴在24小时店和职业安定所。灾民们看到壁报后都非常振奋。壁报把灾区情况及时地传递给各界,引起了反响。19号,报社的供电恢复,机器又重新开始发动,这一天印刷出的报纸标题是“大家加油!”该壁报赈灾期间报导了失踪者和死者的名字,后来报导方针发生改变,报纸开始传递复兴新闻。武内表示,我们今后的报导方针是复兴报道。报道方针改为给市民增加信心,报道正面消息。比如介绍石卷红十字医院出生的新生命,灾民生孩子的新闻等等。明年,石卷日日新闻就迎来了创刊100周年,报社成员一致认为,应该继续继承报纸创刊者山川清的办报理念,将地区新闻介绍给全日本。

 

 

石卷日日新闻

http://www.hibishinbun.com/

 

艺术家也积极支援灾区

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在众多支援灾区的志愿者中,艺术家们的身影也出现在公众视线中。仙台县出身的现代美术家塔一塔一也积极投身到清理垃圾的大军中。塔一塔一是在3月31日进入宫城县石卷市的。他说,在电视上看到石卷市的志愿者还不是很多,于是决定来到气仙沼。在当地,他看到垃圾很多,心里想,此次救灾,我要一个普通志愿者的身份和大家一起救灾,而不是以一名艺术家的身份。当发现这里志愿者人数不够的时候,他开始在自己的博客上开始介绍救援行动的过程,希望引起大家注意。他写到,当地灾民们没有气馁,努力建设自己的家园,一边清理垃圾,一边体会着重建家园的乐趣。我希望将这份感动传递给全日本的民众。他还在博客上招募更多志愿者,希望他们积极参与进来,和其他支援者汇聚一起一同重振灾区建设。他说,好不容易来到石卷,我希望更多的人加入到这个行列。后来,很多年轻人都汇聚到这位艺术家的身边。塔一塔一说,支援救援不一定非要从事力气活,可以陪灾民聊天也是一种支援,仅仅一天也可以。志愿者们表示,支援活动虽然辛苦,但是和塔一塔一在一起,就感到非常有刺激,即使每天不能参加,一周一定会参加一次。在他的呼吁下,有近200名参加了进来。援助活动不断扩展出新的内容,包括仙台的文化设施在内的组织也参与了进来,也开始进行招募活动。参加的人越来越多。塔一塔一还举办了音乐会,以一种非常积极性上的服务精神感染者人们。希望大家关注他的博客,感受更多更多。

 

博客地址是

http://tanonteer.taigart.com/

 

加油 茨城

伴随着茨城县三菱化学公司和住友金属鹿岛制铁所得停业,周边制造业企业陷入困境。农林水产业也受到很大的舆论影响。为此,有志振兴茨城的有识之士们开始制定计划,决心把茨城建设的更加美好。印有“加油!茨城”字样的罐头、贴纸、吉祥物等走出了茨城,走向了全日本。组成这个宣传队的成员有11人,他们来自行政业、NPO组织、金融系统、制造业、设计业等。这种罐头一瓶一个100日元,贴纸是100枚一沓,吉祥物有五个一装。销售的3成作为援助基金赠送给茨城县。大家希望这份期待和激情能够传递给民众。平井夏树就是这个组织的一个成员,他也是平井情报设计有限公司的董事长。在他看来,这次救援活动的主题非常具有世界意义,理念是相通的。我们也是抱着一个信念开始组办这次活动的。正是同过这样的努力,这个组织团结了许多志同道合的人士,大家通过各种各样具体的行动支援茨城和东北灾区。平井他们制作了1000多个带有标语的罐头,一下子就销售一空,还有很多人希望预约购买。后来,大家认为,只是制作这种商品意义不够,大家委托社会福利法人UI,开始实施作业训练,希望更多的人从事这一作业。这也带动了印刷行业的兴盛。从4月开始,销售进行得很顺畅,个人购买者、饮食店、各种活动组织都积极予以活用。当地的酒瓶上也贴满了这种标语。目前,销售额已经超过300万日元。加油纳豆等商品也被投入市场,一时间到处是加油的口号。平井表示,这种振奋人心的呼吁使得茨城县全县更加一体化,相信这将成为茨城复兴的起点。

 

加油!茨城的企划项目

http://ibaraki.gamba-ppe.jp/

 

从此次地震中学到新本领

通过此次地震,大家学会了如何对应海啸。另外,避难所的厕所问题也成为我们新的研究对象。我们将把所学应用到预防今后的大地震上来。

救生衣

身着这种救生衣可以提高生存率

这次地震造成的海啸袭击了很多地方。此次大家非常注重救生衣的使用。人们设想,如果人们及时穿着这种救生衣,就可以大大避免伤亡。至少可以挽救数千人的生命。三菱总研的主人研究员堤一宪表示,这种救生衣有保护大脑的功能,还可以保护颈部,还可以防止溺水。应该说,这种救生衣可以救助很多人。据国土交通省海事局的海难事故分析调查显示,穿着这种救生衣的生存率是85%,死亡率是15%。生存率将会提高3倍。不使用这种救生衣的生存率是31%,死亡率高达69%,死亡率是不穿救生衣的5倍。大家认为,有必要大力推广这种救生衣的使用。

 

最后更新于 2011-07-01 14:30
 
日本应向世界展示自己的“耐震力”!! 打印
2011-05-24 13:28

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震灾后的复兴建设中,出现了很多课题。本期我们就余震、就业问题、能源问题、舆论损失等展开讨论。通过分析现状,我们可以寻找到解决问题的出路。

震灾后经济景气急速恶化

日银制定了“经济物价情况展望”,展望中指出,2011年度的GDP成长率会呈现下降趋势,下降情况为,从当年度1月的1・6下降到0・6。另外,由于震灾导致零部件调度出现紧缺,加上电力供应不足,所以2011年度前半期的经济生产陷入停滞状态。今年秋天部件调度将逐步得到改善,生产和输出将出现回升局面。2012年度的实际成长率也将从1月的2・0升至2・9。 

另一方面,日本经济产业省的调查显示,3月矿业生产指数比上月下降了15・3。而2009年2月金融危机时的成长率也不过下降了8・6。东日本大地震的爆发使汽车和电机业务受到极大冲击。 

经济产业省则表示,金融危机时,08年11月到09年2月急速下降,但是此次东日本大震灾造成的损失比此还严重。 

另外,3月的全日本百货店的营业额为4624亿日元,比去年减少了14・7,这是自1965年1月以后第二次营业额巨幅下降。全日本自主停电的影响下,许多店铺都只好临时休业或者将营业时间缩短,3月份的营业额比09年3月金融危机时的情况还糟糕。 

日本内阁府4月19日公布的3月消费调查显示,消费者指数比上月减少了2・6个点,为38・6。这是继实施月份调查中2004年4月最小幅度减少后最大一次降幅。各大媒体表示这也是受到了东日本大地震的影响后出现的情况。 

人们很关心有没有什么良策可以使经济现状得到恢复。这就是1400兆日元的国债活用。 

此外,还有企业内部保留的250兆日元储蓄。运用这笔资金帮助企业进行重建,以及业务合作。这些措施都可以帮助企业进行恢复生产和营业额。

另外,为了帮助企业之间和地区之间进行的合作事宜,也应系统支援网络并且开设商议场所实施各种帮助。从事这些工作的人员应该是各地区的产业振兴中心的人或者工商会所、经济省、农林水产省、银行、媒体的人员。动员这些力量可以有效支援灾区建设。


加速日本经济危机

通货紧缩、地震、核电站事故、舆论损害等等负面问题造成了日本经济陷入低迷境况,现状不容乐观。地震前,日本经济成长率为4・6,而现在为0。成长率减少一成,就会有30万人失业。 

据三菱UFJ证券公司调查显示,阪神淡路地震的复兴建设花费了10兆元,而此次东日本大震灾的复兴费用需要25兆。但是预计会超过这个数字。

保险损失额为8000亿日元,现在支付能力非常有限。 

据悉,损失资本股价为10,资本股价的回升课题日益明显。为此,卖掉海外资产和外债的想法也正在强化。日本经济陷入深刻的危机状态。目前,大胆的产业构造的调整提到日程上来了。现在正是讨论的时候。 

世界主要机关亚洲开发银行、IMF国际通货基金、OECD经济协力开发机构共同认为,日本经济成长率在0・8~1・5前后。OECD经济协力开发机构更是指出,日本的消费税率过低。正是由于有这样的声音,日本国内围绕增税、复兴税收、国债发行问题展开讨论。增税的情况下,要考虑消费税、法人税等对象问题。看来只有这种办法。 

复兴到底需要多少钱呢?大致上为20兆日元到30兆日元之间。这些钱从增税和国债发行的角度抽取是否可行呢? 

不过,也有声音表示,与其从国债和增税的角度去思考方策,不如通过寻找新的财源并进行融资来的稳便和快速。但是从社会保障的角度考虑,这也不大容易实现。阪神大地震后,政府着眼于发展经济,推进新财源的发掘,避免出现社会秩序陷入混乱。这些都得益于10兆日元的国债整理基金和6・5兆日元的劳动保险特别费用的合理使用。 

日本的国债等级目前和中国、西班牙并列。 

目前,美国经济正在减速,不仅如此,日本也陷入通货紧缩状态,这个时候如果发行国债将不利于日本经济的发展。不能允许日本经济继续下滑了。 

当然,我们也应该注意国际舆论的走向,慎重对应。 

再次重申,只是简单增税不是我们走出困境的出路。这样的话只会增加百姓的负担。我们日本的借款目前已经超过了日本经济成长率的2・7倍,每个国民的负担额为700万日元。情况十分不妙。

 

清理垃圾作业产生新的雇佣机会

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日本政府就第一次补正预算作出决定,决定支付4兆日元作为复兴费用。这笔资金将为失业的人们提供新的就职机会。就眼下而言,垃圾处理作业就是需要人手的工作职位。

目前,有2000万吨或4000万吨的垃圾需要处理。将这些垃圾按照可燃垃圾、不可燃垃圾、危险物品、化学物质等等类别进行处理需要人手,谁来做这些事情呢?汽车的解体回收、塑料的回收等都需要人手。 

对于没有主人的物品,日本政府规定对这些物品进行行政处理,这需要借助当地民众的力量。由于灾区缺少放置垃圾的场所,所以有200多个团体表示愿意承担烧却、埋、中间处理的作业。这期间需要优先雇佣大量灾民。农民和渔业人员没有加入失业保险的人很多,对这些人,即使每天给1万日元的工资也很难从长久上救助他们。 

当然从灾区重建的角度考虑,这项作业的价值很大。 

海啸袭击过的现场有很多家庭的贵重物品,包括相册和贵重品,这些都很多,不能采取粗略回收的办法,必须一点一点地认真地予以回收分类。警察和自卫队在参加垃圾清理的过程非常注意。 

当然,这一切需要大量的员工。轻体力作业的话,老年人、女人都可以胜任,有些废体力的需要年轻人和中年人。 

但是在作业的过程中会出现大量粉尘什么的等具有污染性的有害物质的困扰。因此,作业人员需要穿上相应的作业服装等。马上就要进入干燥期,引起二次灾害的可能性很大,需要注意。

灾害发生后40天内,还需注意感染症的预防。在灾区作业特别需要避免破伤风。需要穿上橡胶长筒靴、安全帽、橡胶手套等。震灾后,有7万到10万人失业,垃圾清理作业是一项解决燃眉之急的方略。

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警惕劳动力外流

对此,虽然一定程度上解决了许多人的就业为题,但是也有人认为,这并不能阻止许多人离开本地。 

据统计,震灾后,当地的高龄化比率(65以上的人口比率)呈现突出,以新泻县旧山古志村为例,2000年老龄化率为34・6,但是到了09年则变为41・6。 

美国城市新奥尔良也是如此,飓风卡特利纳后,45万人口一周之内都逃亡他地。5年到10年后,新奥尔良人口也只是原来的7成左右。这都因为不少当地人前往外地就职的缘故。 

山古志村就是如此,灾难发生后该村的人们都前往外地谋职,这里的高龄化更加严重。此次地震也会带来同样情况的发生。 

东北地区的15岁至64岁的人口减少率也非常高,2010年日本国土交通省的预测报告《国土长期展望的方向性调查》中预测,到2050年来人口将从2005年的1207万人减少到727万人。 

另外,灾区的船只也遭受了巨大损失,岩手、宫城、福岛三县原有的2万9000艘船只9成被毁,均无法使用。

 

农业用地方面,宫城县等6县地区有2万3600公顷处于浸水或流失状态。今后,垃圾处理、处理盐害以及农业用水路的修复正在变得紧要起来。

 

 

日本政府表示,将针对新船制造和修理提供三分之二的费用。农业用地的损失将全额补助。 

但是失去家庭和船只的高龄者并不想再度从事渔业和农业工作,一系列问题突显出来。 

在这样一个特别的时期,需要导入特区建设制度,长远上来说,应该在农业方面加强恢复生产,并呼吁各个公司的加盟,开放式渔业也需要予以提倡。 

渔业和农业转让方面应该采取措施,要努力培养后继人才。

 

为更好地重建灾区建言

 

复兴厅构想是民主党特别立法团在3月末总结出来的,构想中设置了复兴厅作为复兴本部的事务局。公明党等部分在野党虽然表示支持,但是也有反对意见指出,与其剥夺各省的权限,不如让各省独立对应。法案提出陷入两难。 

灾民以及遭受舆论损失的农民、渔民、工厂主该如何面对危机呢。大家认为民主党政权过于优柔寡断,大家对今后的复兴策略表示怀疑。这是最近舆论调查中观察到的现象,这些都会影响时局和地方选举。 

我们希望早日建成复兴厅,这样可以脱离省厅,直接进行行政干预,这样会有效进行重建家园的指导工作。这个时候的确需要决断力。关东大震灾的时候,我们就成功启用了后藤新平,而此人在指导复兴院的工作中业绩辉煌,我们现在需要这样水准的人才。 

我们还应该指定“复兴特区”,一定期间内停止既有的经济规制,在复兴厅的指示下监督下大胆进行改革以振兴地区经济发展态势。具体来说,我们应指定都市计划法以及农地法进行规制缓和,为了促进地区产业的再生,我们也应采取税收优惠措施,缓和自治体的企债限制。另一方面,我们应积极创建联络部门,即使反应当地民众声音,吸引投资。 

关于复兴厅的政策实行,我们应促进自治体和建筑公司以及电力公司、IT公司、医院等的大联合,共同实施新政策,力争民众满意。 

复兴需要财政措施的导入,我们不能仅仅依靠提高消费税的办法来缓解危机,不能冷却民众的消费热情。我们可以实施无记名、无利息的复兴债的发行(5年、10年)。 

另外,对于三陆沿岸的再生问题,我们应力促创建一个耐震耐海啸的都市,巩固渔业、农业的产业基础建设,推进可持续能源的利用环境的整备工作。 

和阪神淡路大震灾不同,本次受灾区都是渔港、农地,都是第一产业集中的地区,我们应具有针对性地采取措施重建家园。日本政府应投入大量物力和人力从更高的高度上高瞻远瞩,恢复灾区经济建设。

 

激震重创日本列岛

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日本列岛尚未从地震的阴影中走出来。据《AERA》报道,地震学者警告说,新的大地震即将发生。3月11日地震后,北美板块和太平洋板块有所冲撞,产生了“海沟外缘隆起带”。1933年昭和三陆地震就属于这种隆起后造成的地震,在那次地震中,有3000人死亡失踪。这种类型的地震一旦爆发,就容易发生海啸。 

3月12日,地震局观测到长野县北部为震源的强地震,震级为6强。这属于大陆活断层引发的内部地震,气象厅表示,这和太平洋海地震无直接关系,但是地壳变动引发大地震的可能性不能否定,今后仍然有可能发生震级为6强的余震。 

东京大学的教授罗伯特凯乐曾指出,我们应重新研究日本地震现状,该教授还发表了一篇论文,论文还批评了日本政府的地震预知政策中的漏洞,引起轰动。 

论文指出,在过去30年间,日本发生的大地震都在日本政府预测外的地方爆发,准确预测地震的震源是不可能的。他还指出,日本政府预测的所谓东海地震也是无稽之谈。他的论文刊载在2011年4月30日英国权威科学刊物《自然》上,论文开头就说,日本政府应对国民明确表示并不能预测地震发生的时间和地点;应该取消东海地震的言论,以免招致国民误解;废止1978年制定的大规模地震对策特别措置法。 

3月12日3点59分,长野县、新泻县发生了直下型地震,震级为M6・7,M5以上的余震发生了两回。此次地震在东日本大地震发生后的第二天发生,这只是事实,但我们并不知道原因。 

此次地震后,长野县除秋山地区以外荣村全村(804户2043人)接到避难指示,约1700名避难,无人死亡。新泻县内有31人受伤,长野有15人受伤,但都是轻伤。当地还发生了雪崩,许多房屋毁坏,秋山地区道路阻断,约300人孤立,连接村内外的道路都被雪和沙土阻挡,小泷村镇的人都被孤立,直升机将他们接送到安全避难场所。 

荣村以大雪著名,这里的自然环境非常好,被评选为日本100名村之一,可是地震后,雪崩、泥石流把这里弄的面目全非,到处是垃圾,一瞬间51座房屋毁坏,县道遭到毁坏,民众赖以生存的田地也被毁掉,今年的年成预计减收不少。 

在东日本大震灾后,福岛第一核电站事故发生,人们都在关注核辐射问题,很少有人关注到这个村受到的损害,救援资金也不够。村子里的人最担心的是居住问题,大约2300名村民居住在这里,平均年龄为56岁,靠年金生活的高领者很难建造新的住宅。即使帮助他们把住宅修好,不能进行农业生产的话,也很难振兴当地经济发展,不能保证他们的生活来源的恢复。

 

先人的智慧救助了居民们的生命

 

不过,这这次地震中,也有些村完全没有受到损伤,这主要得益于贯彻现任的理念建造的防洪闸门起到了作用的缘故。岩手县的普代村设置的防洪闸门在东日本大地震中就起到了这样的作用。既没有失踪人员出现,也没有出现死亡。住宅浸水情况也不严重。 

1896年的明治三陆地震时,有1000人以上失踪或死亡,鉴于此,这里开始讨论修建保护住民的大坝,终于在1984年建成完毕。该坝高为15.5米,宽为205米。建设费用为35亿6000万日元。建设过程中,涉及到村落的迁移,并有人称闸门过高,引来许多批评的声音,村长和村幸得没有妥协,明治三陆地震发生时,高为15米的海啸曾经袭击过这里,这些依然在村长的大脑中挥之不去。 

岩手县宫古市田老地区也有一个防护坝,被居民称为万里长城,高为10米,宽为25米,号称日本防洪第一大堤。 

《周刊朝日》5月6日的报道中,吉冈忍报道称,这个巨大的堤坝对于防洪起到了至关重要的作用。明治三陆海啸、昭和三陆海啸中,遭受损害最为严重的田老地区的关口松太郎开始执意建设大堤坝,岩手县知事对此予以了支持,该知事年轻的时候就受到后藤新平的熏陶。看来,先人的智慧依旧活在当代,对人们抗击震灾起到了巨大作用。 

岩手县斧石市市内小学生、中学生全员都因此躲避了海啸。很多人呼喊这是奇迹。不过,更重要的是对孩子们的日常避险教育起到了随机应变的作用。 

三陆地区的教育是,灾害发生时,首先保住自己的生命,正是这条智慧使得人们都在自救中获得了生的希望。

 

宫古市的大海啸纪念碑上写有这样的碑文 

居高所、儿孙福、海啸经由处勿建屋、明治二十九年  昭和八年 海啸都由此过  村落全毁、幸存者只有两人。  

陆前高田市有这样的海啸纪念碑文

一 随时防止海啸的袭击

一 地震后,听到声音首先要想到是海啸

一 地震后,潮水退时,要敲警钟

一 大海啸三、四十年后还会来

一 海啸来时,赶快逃

一 生命比金钱重要,不要忙着收拾细软 

这是先人留给我们的智慧。我们应很好地牢记这些话。

 

经济产业省紧急调查部件供应情况

 

3月份的汽车生产台数为38万7567台,比去年同月下降了57.5%。另一方面,亚洲生产量增加了9成。若这样的情形持续的话,比如丰田马来西亚的工厂就会减产30%。因为,零部件很难运输到当地。按理,在当地的零件设备工厂应该已经落成,但是实际上基本材料还是集中在日本。喷漆涂料也是如此,原料主要在福岛,不能很快的供应的话,美国的生产也会陷入停滞状态。 

这些问题都出在部件的供应上,我们应该尽快对此予以分析,寻找解决办法。我们认为,应该及时补充库存,以被今后不时之需。 

东北地区是原材料供应的一个重要基地,这里也是先进技术的产业基地。地震后,人们才开始认识到这些。东北地区的工厂生产情况进入90年代后开始将重心放在了仙台。这里是半导体、电机、汽车部件相关产业发展的基地。 

东北地区工厂的作业的停滞直接影响到了世界生产线,由于缺乏部件,美国生产据点也陷入被动。以此为教训,今后,应该在生产体制上进行变革。 

日本经济产业省4月26日进行了震后产业势态紧急调查,即生产链影响调查。调查期间从4月8日到4月15日,调查企业有80家,其中制造业有55家,小型企业以及服务行业为5家。这次调查主要针对部件供应短缺后对于消费水准的影响。 

调查结果显示,制造业方面,灾区生产据点约6成恢复,夏天到来为止将会有3成恢复生产供应。有6成原料行业在地震后遭到部件不足的影响,加工业有4成受到影响。 

实际调查的灾区企业中,原料行业为9成,加工行业占8成。另外,在节电实施后,加工业达到5成受到深层次的影响。 

另一方面,成功转换运输机制的企业情况为,加工业占据8成,原料行业为6成。但是没有寻找到代替运输机制的企业中,加工业占据5成,原料行业为1成。 

关于原材料、部件等的供应确保方面,原料行业到了7月末恢复到54%,到10月末恢复到85%,加工业恢复到6%,到7月末恢复到29%,到了10月末恢复到71%。 

小商贩及服务行业在震灾后的情况也不尽相同,食品、日用品、灾害用品等经营企业正增长,除此以外的消费行业均呈下降趋势。客人减少的原因下,经营艰难的企业占8成,7成企业停滞了历年的宣传活动。 

当然,产业界也已经开始针对运输环节的问题进行了调整。电机产业在震灾后材料部件受到破坏,但是超薄电视、手机、锂电池的生产没有受到什么影响。 

航空业界,震灾后一时生产规模缩小,还发生了工厂停业的情况,但在复旧作业开始后,出现乐观局势,预计到5月、6月生产将呈现恢复局面。 

汽车关联产业方面,震灾后汽车生产规模缩小,但是目前开始调整作业速度,生产效益较好的车种。这些,对于制造业的复活起到了助益,值得欢喜。

核电站事故是否会推进能源革命?

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核电站事故后,人们意识到应该寻找代替能源,寻找自然能源,但是问题不仅应停留在此,还需要进一步调查家庭用能源的供应问题,目前围绕这些在进行着讨论。但是蓄电问题、电力买卖价格问题还没有解决。新能源问题属于日新月异的科学所需要解决的,后者则需要从经济方面、政治方面寻找出路。 

当然,利用风能、太阳能、地热等作为电力来源这一系统应该尽快实施开发。这也需要全体日本国民予以充分讨论和参与。 

Softbank社的董事长孙正义目前向灾区捐赠了100亿日元,并准备设立自然能源财团。呼吁脱离核电站的知名人士广濑隆也呼吁开发天然气蒸汽发电系统的开发。《FLASH》5月10.17日号也指出,使用地热、风力、太阳能进行发电解决不了根本问题,无法支持日本产业的发展。国民们对此也不置可否。但是大家至少明白一点,现在核电站危机已经达到7级。大家还是希望能够找到代替能源。

 

自然能源后进国日本


日本自然能源利用率在7、8年前在世界上首屈一指。但是德国后来走上了脱离核电站能源的行列,将核电站7成全部用自然能源替代,从此成为自然能源新的巨人。日本的自然能源嫁动率却只占据全部能源的3成。太阳能利用情况更是远远不够,只占0.26%。 

但是,为什么会出现这种情况呢。这是由于设置费用非常高,人们选择使用价格低廉的电力供应系统。 

所以,自然能源的真正普及遇到了许多问题而得不到推广。特别是初期的设置费用问题困扰了许多决策。但是,宫崎、冲绳、长野县饭田的日照时间较长,这里推广使用了太阳能发电系统。对于风光明媚的饭田市来说,太阳光属于“特产”。这里最初太阳能设备设置费用从200万日元变为0日元,销售上独树一帜。具体情况是,7年前,市政府拿出1.6亿日元,市民一人出10万日元,这样,470名市民共出资2亿150万日元成立了运营公司,9年时间,这里开始每月支付1万9800日元的费用,电力销售也得以进行。 

为什么这样的体系得以有了生存空间呢。这是由于投资将发电机厂商提供的发电系统购入的原因。设置人员认为,我们花钱买电,自己的钱的去向我们心里很清楚,大家很认可。 

这里人口共有8000人,约3万8000户,其中1500户已经安装太阳能设备,今后太阳能发电推广速度将会进一步加快。10年后太阳能发电产业将会达到200兆日元的规模。饭田市今后的目标是在更大范围内宣传自己的太阳能产业,确立地区品牌产业,从中产生5亿日元的资金,进一步扩大内需,促进雇佣局势的好转。 

专家们表示,日本日照时间偏长,利用太阳能发电是非常可行的。在屋顶上设置太阳能板就可以,也非常便捷。日本海岸线长,海风也充沛,发电方式很多。大家认为,在促进地区经济活性化方面,推广自然能源商业化模式方面,应学习饭田市,可供借鉴的东西很多。 

日本各地也正在掀起自然能源的推广风潮,札幌自然能源机器专卖店いころ公司透露,震后,关东圈风力发电机和水利发电机等的销售空前好,比如说家用风力发电机,每秒发电72瓦特的发电机一台15万日元,每秒发电60瓦特的发电机每台售价21万日元。广受好评。 

另外,英国制的水力发电机アクエア也很受欢迎。小河川上也可进行使用发电。设置作业和撤去作业很简单。流速达到0・9m/s即可发电,达到3・5m/s就可发电100瓦特。价格在33万5000日元。 

价廉物美,真是不错的选择。今年夏天计划停电的实施也使得空调利用受到限制。借助自然能源的话,就可以让大家感受到盛夏中的一份凉爽。

 

把垃圾变成能源 

4月19日,日本林野厅下达方针,指示将东日本大震灾中形成的灾区垃圾变为能源,比如作为生物资源进行发电等。2011年度的第一次补正预算预计为3亿日元。推定的垃圾量中,预计仅房屋垃圾就有2500万吨,其中8成是木材。将其变为能源的前提是用粉碎机粉碎,市镇政府和业者表示,购买移动样式的木材粉碎机的时候,将补助二分之一的资金。粉碎机价格随一个小时处理能力有关。 

比如宫城县,垃圾量为1500万吨到1800万吨之间,相当于23年中的垃圾量。

这些垃圾可以用来进行火力发电,一万吨级的小型火力发电所可以供应5个基准的电量。建设费用一基准需要40亿日元。如果每年消耗60万吨的话,几年就可以把垃圾清理干净。而且还可以作为资源卖给电力公司。 

据农林水产省统计,杉树和废弃林地每年产生370万吨,烧掉的话不仅可以用来发电,还可以抑制花粉症的产生。一箭双雕。

复合发电技术  

以LNG液化天然气为燃料的复合发电所使用燃气涡轮发动机将水变成蒸汽,然后再使用蒸汽发动机进行发电的方法。开始是燃烧压缩空气中的燃料进行发电,然后使用余热进行蒸汽发电,这样一来就有效地利用了热能,同时还可以产生出更多的电力,还可以抑制二氧化碳的排放。这是非常合算的能源使用技术。 

改良型复合发电(ACC)的燃烧温度在1300度左右,发电效率为50%。和1950年代的活力发电技术相比,大约提高了2-3倍的效率。这几年导入的新装置燃烧温度可以达到1500度,被称为MACC型。发电效率在59%左右。这当然是世界上最高水准。相信这些技术的应用可以更好地帮助人们早日脱离对核电站的依赖。

 

援助灾区,减少舆论损失!!

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只是强调一部分事实,或者报道地名出现错误都会影响消费者的判断,这也就是舆论损失。近年来,随着网络以及微博的普及,舆论甚至波及海外。很多时候人们还甚至用网络干预股市。 

这次东日本大地震和福岛核电站事故发生后,情况是什么样的呢?中国港口拒绝日本船只入港,外国船只也拒绝进入东京港湾,这样的情况出现34件。要求日本方面出示工业制品和食品辐射量证明书的事件也增多起来。为了保护自己国家的产业,许多国家制订了临时政策。舆论损失波及全球。 

而辐射情况的监测需要花费6万日元到10万日元之间。日本政府开始发行检测证明,大企业负担监测费用的一半,中小企业负担十分之一,这样的话,就可以进行检测并发送证明。 

另外,外国游客3月份的数量比去年同期减少了98%。国内的温泉、旅馆、宾馆、休闲地的预约也相继取消,有的地方的住宿外国游客甚至为零。石川县轮岛市人气十足的“渔火”宾馆也出现了入住率为零的情况。人们不禁感叹,核电站和地震问题影响面还真是广。 

再者,福岛县内的旅馆和宾馆的情况又如何呢?汤本温泉旅馆协同组合理事长小井英典表示,这一带地区没有与灾区距离15公里,没有受到海啸袭击,也没有因为地震有房屋倒塌,但是距离福岛第一核电站50公里地区都属于危险地区,所以客人都不来这里旅游了。现在由于接待东京电力的工作人员,并且接收近邻灾民(广野镇)入住,所以业务还在运营。 

当然,也有反对意见的出现,有人认为这样一来不就使得放射性物质进入到镇上来了吗?旅店组合对东京电力公司表示,需要对工作人员的身上是否携有放射性物质进行检查后,由专车送到旅店来。 

就这样,目前28家旅店中有24家再次开始营业。但由于不再设置豪华的宴会什么的,所以宾馆旅店都进行了裁员,只是以最低限度的人数提供住宿服务。 

另外,大家表示,为了解决核电站问题,必须想办法做点什么以改变现状。于是,组合制作了周边地图,方便旅客在旅店外也能找到饭店。为了给客人提供美食,还进一步推进特产当地消费,减少农家在舆论波潮中的损失。 

神户的输出企业也遭少了沉重的打击。在舆论的影响下,许多企业的生产陷入停滞状态。人们都觉得日本目前的情况不妙。 

日本国家战略担当大臣玄叶在记者招待会上表示,福岛第一核电站事故后,福岛人们的生活受到了严峻挑战。为了使福岛先民不再遭到差别对待,他指示进行阁僚级审议会,采取必要措施。 

据报道,玄叶大臣也是福岛县人,他表示,目前福岛有些民众去外地住宿受到拒绝,到外地避难的孩子们也被认为歧视,认为携带放射物质,这一切都需要重新认识。 

此外,有些店铺也拒绝福岛县人前来就餐,首都圈的专门学校也勒令福岛县的人不能上学校来,要在自宅待机。福岛县知事佐藤雄平19日在灾害对策本部会议上表示,应该积极防治舆论损失的扩大。 

福岛县的农家和居民们对核电站的影响非常担忧,有部分活动者还在网上呼吁全日本的消费者购买福岛县产的商品。JA全农福岛网络销售组织接受到来自全国各地对于农产品的定购,定购种类达到20种,其中有些商品还销售一空,没有了存货。市场上的商品价格波动较大,而网上订购依然走俏。

日本经团连就舆论损失情况展开行动,他们向会员企业展开游说,希望他们购买福岛、茨城县产未被限制出售的产品,希望他们在社员食堂食用。他们还和县、农业团体合作,确保大量购买白菜和黄瓜,面向这些公司的职员展开宣传。

东京电力公司的社员们也成为NPO法人往来机构的“加油福岛援助队”的成员,在4月28日这一天,千叶本公司开始销售福岛会津产的草莓、西红柿、柚子、酱菜等。 

据NPO法人往来机构的花泽治子事务局长表示,今后还要将这些产品直接送到公司食堂,作为食堂定期使用的产品。大家表示,这样做还可以加强公司职员的凝聚力。

 

茨城、枥木JA干部还在28日就核电站事故后农业畜牧业遭受到的损失向东京电力公司提出赔偿请求,请求额达到30亿日元,有消息称还会超过此金额。其中,茨城县的请求额达到18亿4600万日元。3月份蔬菜市场价格下滑,造成的损失约为14亿4740亿日元,牛奶产业损失3亿9860万日元。今后金额还会增加。枥木县请求额达到12亿149万日元。

 

水产放射能污染现在是什么情况 

专家表示,目前还没有必要担心,毕竟海洋很广阔,稀释效果很好。而且公布的海洋放射能的数值也可能只是海洋表面的数据。福岛核电站排水口处的海水虽然已经受到污染,但是茨城县海水水产完全没有问题。 

美苏核试验频繁进行的时代,产生了大规模辐射物质,但人们也仍然继续吃海产,广岛、长崎原子弹爆炸后死亡的人中,9成不是因为辐射死亡的,而是因为热线死亡的。现在有人们对水产物污染影响长期化产生担忧,切尔诺贝利核电站事故后,远东凝沙丁鱼等鱼类身上检测到5倍的数值的放射能,但是也不过持续了1年。 

关于舆论影响,我们希望日本政府和东京电力公司公布正确的数据,只有通过这个办法来消除人们的顾虑。这也是保护福岛县民利益的唯一办法。

 

舆论风潮究竟指什么 

据新小辞林(三省堂)解释,舆论风潮指的是“世间的评说”。而据东洋经济新报社认为,构筑企业评定指标的要素有5个,①现实性。(Visible):瞩目度高的企业 ②独自性。(Distinctive):标新立异③真实性。(Authentic):诚以待人④透明性。(Transparent):适时公开讯息⑤一贯性(Consistent):持有恶意就会导致犯罪,具有善意,就会获得人气,产生平衡。

 

活用税制特例方案整备环境 

除了农家、渔业从事人员以外,经营者、工厂主们也应只剩下了借钱。难道借款、住宅贷款等不能一下子进行不良债权的处理吗?双重借贷产生的问题是不是很多呢?政府应该快点寻找办法。 

另外,借贷事务所以及借贷工厂的企业都被冲垮,没有人证明。而且,窗口业务的行政职员也不在了。应该将手续简化,尽早进行业务再开。还要请专业的会计、辩护律师、司法人员进行接洽办理。比如在企业再开的时候,使用调整雇佣金等。这样可以填补工资的80%。这样一来,就可以发挥这些税务专家以及行政司法人员的作用。

就震灾、核电站问题,灾害法和原子能损害赔偿法不能对应的情况下,还可以成立农林渔业・农业渔村复兴再生特别措置法。这个法案面向灾民使用基金,提供经营再开资金。

 

 

税制特里措置要点

●住宅・家财的损失 

・根据损失额减轻所得税和居民税

・不能使用的住宅也适用住宅贷款的持续减税

・代用住宅和土地取得后免除登录税,不动产税属于非课税 

・海啸袭击严重的地区减免土地房屋的固定资产税和都市计划税 

・实施针对相继税和赠与税额的幅度 

●汽车・船舶

・对于那些失去车辆的人们,交还已经交纳的汽车重量税(剩余车检时间)

・买车的时候,免除非课税和重量税

・进行船舶和飞机再建造的时候免除登录税

●灾区创业

・根据损失额交还已经交纳的法人税 

・免除地方法人税 

●其余 

・所得税的交纳方面,交纳每年所得的40%-80%

・交付给政府指定的NPO的时候,减免税金

 

 

 

 

 

最后更新于 2011-05-24 14:07
 
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