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東日本大震災でも奮闘!! ニッポンの消防団は地域防災の原動力だ!! |
2011-10-10 00:00 | |||
東日本大震災では自衛隊の活躍ぶりが大々的に報道されていたが、地域ごとに結成された消防団が陰ながら活躍していたことをご存じだろうか。そこで、今号ではそもそも消防団とはどういった組織で、どんな活動をしているのか、そして東日本大震災ではいかに活躍し、どのような課題が浮上してきたのかをリポートしてみたい。 消防団員犠牲者253人東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の消防団員の死者・行方不明者が253人に上ることが総務省消防庁のまとめでわかった。3県の死者234人、行方不明者19人、計253人である。県別では岩手県119人、宮城県107人と100人を超える犠牲者を出したことになる。 犠牲者のほとんどが地震・大津波発生直後に出動していた公務災害とみられている。阪神・淡路大震災(95年)における消防団員の犠牲者はわずか1名。これと比べると今回は犠牲となった消防団員の数が極端に多く、いかに被災状況が激甚であったのかがわかるのと同時に、地域防災上の人的体制などをあらためて考える必要が出てきそうだ。 たとえば、消防団員の公務災害に対しては市町村が掛け金を出している「消防団員等公務災害補償共済基金」の補償がある。たとえば、就学中の子どもがふたりあって死亡した場合は2540万円の一時金と310万円の年金が遺族に支払われる仕組みになっている。ところが、被災した市町村の掛け金による財政負担が重荷になっていることから、国の今年度第2次補正予算で約200億円を特別交付金として支給することが決定したという。また公的補償とは別に、全国の消防団員が加入している財団法人日本消防協会「消防団員福祉共済制度」による補償もある。しかし、想定外の大量の公務死亡の発生で準備金が不足し、代議員会で公務死亡の弔慰金を減額するという異例の決定を行わざるを得なかったという。こうした災害補償の面からも、地域やひいては国家のために犠牲となった人々への配慮を抜本的にあらためる必要もありそうだ。 東日本大震災での消防団の奮闘 では、消防団はいかに震災と戦ったのか。消防団は大災害時には避難誘導や広報(大津波警報を伝える)といった業務にあたることになっている。また、海辺の水門を閉じたりするのも消防団の役割だが、「水門を閉じるために、現地に赴いたが、停電の影響により操作に難渋し、津波が押し寄せて危険な目に遭ったり、犠牲になった団員もいた。こうしたリスクを減らしていく必要がある」と話すのは財団法人消防協会の岩田知也常務理事。水門の開閉は日頃から訓練対象となっており、当日も消防団員たちは任務をはたすために水門に駆けつけたという。 そのほかにも「海辺に住む家族や親戚、知人が心配で、そこに向かおうとする近隣住民も多数いたが、団員はそれを塞き止め、避難誘導をしつづけた。ギリギリの局面まで海岸付近に留まり、地域住民を守ろうとした」「津波は火災を発生させ、山火事などを併発させる。今回も気仙沼など多くの地域で大規模な火災が発生したが、その際にも消防団は大いに奮闘した」という。 もちろん、震災後も消防団は復興のために全力をつくした。自衛隊などと連携して、ガレキ撤去や情報収集に率先して取り組んできた。ちなみに、気仙沼では消防団がバイク隊を結成していたため、被害後の情報収集がスムーズに行われたという。「なかには家族や親戚、家族の行方がわからない団員もいたが、多くの団員が一致団結して復興に取り組んだ」というから、その使命感には敬服の一言である。 なお、消防団は先の阪神・淡路大震災でも地域社会を守った実績がある。阪神・淡路大震災では死者の約8割が建物倒壊による圧死などが死因だったが、建物の下敷きとなるなど要救出者の約8割が消防団や町内会などの近隣住民によって救出されたのだ。急な災害の際は周辺住民同士の助け合いが重要になるが、まさに消防団はその核として機能してきたのだ。 このように災害と戦いつづける消防団だが、未曾有の大地震・大津波の被害による被害はあまりにも大きい。こうした被害を最小限に抑えるためにも、地域の防災・治安の責務を負っている消防団員の位置づけや安全対策、情報装備、訓練など、検討すべき問題が浮上してきそうだ。たとえば、現場では装備の問題などが浮上したという。「ほとんどの消防団では団員個人に無線装置が与えられておらず、平常時には機能しているケータイは震災時には回線がパンクしてほとんど連絡が取れないような状況になっていた。トランシーバーが有効だったという話もあり、団員が個別に利用する無線機を拡充する必要がある。そのほか、期待されている活動を行うためにも、安全管理の面でも装備の充実をはじめ、消防団の活動環境の整備が急務ではないか」と岩田常務理事は話す。 加えて今日の日本は、歴史上経験のないレベルの高齢化社会に突入している。若者の比率は徐々に減少するなかで、文字通りの気力と体力を求められる防災活動を地域において、どのように維持・拡大できるかが重要になってきている。 団員減少に苦しむ消防団 このあたりで、そもそも消防団とはどのような組織なのかを紹介したい。日本の消防活動は市町村に設置される常勤の消防本部と非常勤の消防団が連携して行う仕組みになっている。古くは江戸時代の江戸町火消し、明治時代の消防団とつながる歴史を持ち、戦後1948年に消防組織が公布され、今日の自治体消防の体制が整備された。消防団はすべての市町村に設置され、団数は2275、消防団員数は約88万4000人にもおよんでいる。 しかし、その数は平成に入ってから急速に減少している。過去の消防団員数を振り返ると、昭和40年133万人、昭和50年112万人、昭和60年103万人となっている。昭和40年比では3分の2に縮小。直近では平成16年が91万9105人で、平成22年は88万3698名といった感じになっている。日本の末端の防災防御能力は昭和40年と比べて3割も減少しているのだ。さらに団員の高齢化も問題視されており、現在、すでに40歳以上の団員が41・5㌫にまで増えているという。 また、消防署は消防本部の組織で、そこに勤務する常勤の消防職員は一般職の地方公務員だが、消防団は別の職業を持ちながらみずからの意思で参加する人々によって構成されている。つまり、消防団員とは本業を持ちながら「自分の地域は自分で守る」という精神にもとづいて消防活動を行っている非常勤特別職の地方公務員なのだ。ちなみに、かつての団員は農業や商店主など自営業者が多かったそうだが、現在は7割が被雇用者で活動上の制限が多いといわれている。しかも、その年間報酬は交付税算定の目安が団員で3万6500円であるのに対し、自治体で実際に支給されている額は平均約2万5000円と大きく乖離があり、待遇面での改善も求められている。 ところで、日本には798の消防本部があり、その消防職員数は約15万9000人だが、東日本大震災における死者は20人、行方不明者は7人にとどまった。このことから東北3県では常勤の消防職員の犠牲者の約10倍に相当する消防団員が亡くなっていることがわかる。これは大規模災害の際には消防本部の拠点数、職員数だけでは被災地をカバーできないということだ。風水害なども同様だが、災害発生時の初期対応には、地域事情に詳しい消防団員の知識、判断力、住民誘導などの活動を欠かすことはできない。そうした地域の「住民機動力」を今後どのように養成できるかが、ますますもって重要になってきている。 女性消防団員の活躍に期待 減少傾向にある消防団だが、近年では女性消防団員の活躍ぶりが目覚しいという。「そもそも、漁村などでは古くから男手が漁に出てしまうため、女性消防団員の活躍ぶりが目覚ましかった。ところが、最近では都市部でも女性消防団員の活躍ぶりが目立つようになってきた」と岩田常務理事は話す。事実、平成22年10月1日現在で1万9400人(前年同期比886人増・全消防団員の2・2㌫)で、女性消防団員を採用する消防団は1216団(全消防団の53・4㌫)となっている。ちなみに、女性消防団員は広報活動や高齢者宅の防火訪問、応急救護手当の講習、防火普及活動(火災報知機の設置)などにあたっているが、地域によっては火災現場にも出動するそうだ。「消防団の役割が拡大するのにともない、女性消防団員の活躍の場が増えている。また、女性消防団員が多い東京などでは、みずから消火部隊になりたいと願い出る人も増えている。こうした女性の活力を生かしながら、消防団の組織力を高めていきたい」と岩田常務理事は話している。 また、女性消防団員だけでなく、最近は学生消防団員の数も増加している。現に平成18年には1234人だった学生消防団員だが、平成22年には1804人まで増加。また、千葉市消防団では全国でも珍しい学生消防団「千葉市消防団第3分団5部(大巌寺)」が誕生。これは防災ボランティア組織として淑徳大学に設置されていた「淑徳大学学生消防隊」が、近隣消防団における団員としての活動期間を経て発足したもの。全国的にこうした動きが活発化していけば、若いエネルギーを消防団に生かすこともできそうだ。
平成25年は現在の消防組織が誕生してから65年目の節目となる。また、消防組(現在の消防団の前身)が誕生して120年目の節目でもある。これを機に日本の地域防災力を高めるためにはどうすればいいのか。大いに議論を交わす必要がありそうだ。 地域性豊かな消防団の取り組み
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